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自己紹介①:私はいかにしてミーハーになったか

どうも、東京ぐらふです。ミーハー活動を通じて世の中の幸せの総量を増やしてまいります。

この記事は自己紹介です。私がどのような人間なのか少しでも伝われればと思います。

ファーストコンタクトは炎のストッパー

私は北関東の県で生まれ、そして大学で上京するまで北関東→東北→北関東と田舎住まいでした。

記憶を辿る限り、最初のミーハー体験は東北に住んでいた幼稚園のとき。当日スポーツといえば野球でした。田舎には球団がないのですが、唯一の例外がオープン戦でした。

広島カープファンの親に連れられ外野の自由席(というか芝生)で観ていたのを覚えています。
試合前の練習に親にけしかけられ、カープの選手に「がんばってくださいー」と声をかけました。「今日は俺出ないからがんばらないよ」と返してくれた選手がいました。この選手は炎のストッパーとして今もなお語り継がれる津田恒実さんでした。

漫画でブランディングされた清原和博

小学校に入るタイミングで北関東に移り、自分自身も野球とサッカーを始めるようになりました。

少し東京に近くなったこともあり、数年に一回、東京ドームや神宮球場で試合を観に行くことができました。

記憶しているのは巨人対広島の試合なのに、おみやげとして清原和博選手の印刷入りサインボールを買ってもらったことです。

当時「かっとばせキヨハラくん」という漫画が小学生向け雑誌コロコロコミックに連載されており、私も清原ファンになったというわけです。ミーハーですね。

それだけプロ野球とコロコロコミックが小学生に与える影響が大きかった、ということです。

処分された苦い思い出と大人になっての原動力

また、ロッテの選手がオフシーズン中に野球のコーチに来てくれて、練習後の抽選にあたり愛甲猛さんのサイン入りバットをもらったことがあります。

端正なマスクの愛甲選手でしたので、私以上に母親の方が喜んでいた記憶があります。

清原のボールも愛甲のバットも、残念ながら引越しの過程で処分してしまったようで残念でなりません。ただ、こうした過去の後悔が今のミーハー活動への原動力になっている気もします。

今日は幼少期編ということで、ここまでにしておきます。またタイミングを見て続きを書きたいと思います。

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