深夜のコンビニは聖域(サンクチュアリ)である
あなたは深夜のコンビニの中毒性をご存知だろうか。
都会で一人暮らしをしている大多数の人は心当たりがあるかもしれない。
筆者は無論、深夜のコンビニの魅力、もとい中毒性に支配されて足繁く通っている中の一人だ。
それは例えるならば「毎夜の参拝」のようであり、否定的に捉えると「飛んで火に入る夏の虫」とも表現できるであろう。
要は、この行為はそれだけ危険を孕んでいるのだ。
というわけで今回は、深夜のコンビニの魅力と中毒性について書いていこうと思う。
なお、本記事は科学的根拠の一切ない、ただのエモめの記事だということを念頭に置いて読んでいただけると幸いである。
深夜のコンビニは聖域(サンクチュアリ)である
人々が寝静まった夜中に、なんとも言えない寂しさに襲われることがある。
ツイッターのタイムラインの速度は鈍化し、インスタのストーリーは昼間に更新されたものばかりが流れてくる。グループLINEには既読が付かない。
いわゆる「世間から切り離された感覚」を最も簡単に体験できる時間だ。
そんな時に心の拠り所となるのが、「深夜のコンビニ」である。
24時間営業しているコンビニは、無性に寂しくなった心の隙間を埋める希望の光のごとく、暗闇の中に佇んでいる。
自分以外に起きている人がいるという安心感、その人の生活に思いを馳せる感傷、そして何より干渉されることのない絶妙な距離感。
寂しくはなるが誰とも話したくないという深夜のわがままな要望に答えてくれる。そんな場所を聖域(サンクチュアリ)と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
深夜の空腹との葛藤
深夜の空腹感は誰もが経験しているであろう。
そんな時に我慢して寝られればいいのだが、あいにくそんな忍耐力は持ち合わせていない。特に筆者は空腹だと眠れなくなる体質なのだ。
誰かが言った。
”欲望に抗う唯一の方法は、欲望に従うことである”
いや、むしろ「深夜のコンビニに行きたいから、空腹という感覚を作り出している」という疑念にも苛まれるほどだ。
ただ、最近は健康志向が高まっているということもあり、食べるものには最新の注意を払っている。
・ヨーグルト
・ゼリー
・サラダ
・ナッツ
基本的に買うのはこの辺りだ。ここで最後の自己防衛ラインを引いているので、深夜にものを食べることへの罪悪感は最小限にとどめている。
ちなみに、深夜に食べるUFOほど美味しいものはない。
深夜のコンビニのデメリット
ここで終わってしまうと丁寧な暮らし界隈の方々から非難されそうなので、一応デメリットを明記しておく。
①夜中にものを食べることにより、太る
②コンビニの光で覚醒し、眠りが浅くなる
③無駄な出費が増える
①は言わずもがな、眠りにつくまでの3時間以内にものを食べると消化がしきれず、太る原因になる。何を食べるかは慎重に選ぶ必要がある。
②について、コンビニの光は、眠る前に浴びるには刺激が強すぎるのだ。
商品を目立たせるための強烈な光は、覚醒作用のあるブルーライトも多く含み、睡眠の質が下がってしまう。
③に関して、適量だけ買って気持ちよく眠れるならまだいいのだが、「コンビニで一つの商品しか買わない」のが意外と難しく、ついついあれこれと買ってしまう。
まあこの辺は、深夜のコンビニを楽しむ上での必要悪と考えてもらいたい。
深夜のコンビニの最適解
上記のデメリットを見れば、こんなデメリットだらけの行為やめてしまえとなるのだが、一方で精神的な充足感は大きい。
ご存知の通り、この行為は「めちゃくちゃエモい」もしくは「めちゃくちゃチルい」のである。
深夜のコンビニまでの道中や帰り道、ここでの気分のリフレッシュ効果は馬鹿にできない。少なくとも「散歩」にはかなりの精神的・肉体的なメリットがある。
そこで僕は、上記の恩恵を残しつつ、深夜コンビニのデメリットを最小限に抑える方法を考えた。
それは、一つの商品しか買わないために「数百円だけ持っていく」という方法である。深夜のコンビニで孤独感と小腹を満たし、かつ散歩によるメリットを享受する。
「それだけか」と思うかもしれないが、長年の深夜コンビニユーザーの僕がいきついた中庸(アウフヘーベン)はここにあった。
最後に
ここまで深夜のコンビニへの愛を語ってきたが、今まで通っていた方はもちろん、「丁寧な暮らし」をモットーにしている方も、ぜひこの体験をしていただきたい。
言い忘れていたが、少しの「罪悪感」や「背徳感」もこの行為の原動力になっていることを付け加えたい。
最後に、この行為は決して推奨されるものではないので、用法用量を守って適度にお楽しみいただけると幸いである。
エモくてチルい世界は、思ったよりも近くにあった。