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「スマート」って、本当に必要なのかなーって・・・

最近、思うんですよ。。
 
 
3つも予約しておいて、異性に1つを絞せたら
残り2つには努力も関係なく
無断でも直前でもおかまいなしに
ないがしろにすることとか
 
   
ライターであるにもかかわらず
世相を読めずに書いて発信することとか 
 
 
ステータスだけを誇りにして
実際は使える場所が少ないのに
名前だけでなんとか女子に値踏みさせるカードとか
 
 
そんなのがスマートなのかな…
って思う今日この頃です。
  
 
なんか、僕の生き方とは違う世界過ぎて
???の連続です。 
 
 
でもまぁ、マスコミの威力ゆえなのか(?)
そんなのがキラキラ輝いて見えそーなんですよね。
 
 
「ソンナキラキラシテイルセカイ二イキタイ」
 
 
とばかりに僕も思いっきり背伸びして
行こうとした時期があったんですよね。
(遠い目・・・)
 
 
ただ、そんなことをしていると
自分を否定しているようで息苦しくなっちゃって…
その結果…になるってことも多々ありました。
 
 
背伸びは成長したい証なんだから
それはそれで否定しません。
成長意欲を持って
成長していくことは大切なんです。
僕みたいに40歳になっちゃうと
成長意欲をなくすと
あっという間にただの「老害」になっちゃうんで。。
その恐怖感は常に持ってます。
  
 
だけど、もっと大切にしたほうがいいってことが
あるんじゃないかなーって。
特に人間関係において。
 
 
実際には世の中って、いろんな人達がいて
いろんな集まりがあって
輝きの種類は違っても
輝いている人たちがたくさんいらっしゃるんですよね。
 
 
自称・ぶっきっちょ男子の代表として僕は
モテやスマートとは対極的なところにいた存在で。
メインストリームと言うかブームに、
はまらなかったんすわ。
 
 
高校生の頃に流行っていた
小室系音楽とかユーロビートとか受け付けなくて
どうがんばってもオリコン10位以内どころか
50位にもに入らないピロウズが好きだったし。
大学生の頃は、当時斜陽化していた
小演劇にドハマリしていたし。
 
 
で、就職したらしたで
これからWebの時代になるっていうのに
紙のデザインの仕事に就いたし。
 
 
マーケティングの面から言えば
ありえんといわれそうだけど。
 

それでも、自分の人生を生きていられている。 
これまでの人生でモテることはほとんどなかったけど
おかげさまで結婚させてもらえたし。
 
 
栗が好きだって
緑茶が好きだって
乗り鉄が好きだって
リンゴ酢が好きだって
プラレールが好きだって
萌え系アニメが好きだって
替え唄メドレーが好きだって

・・・いいじゃないか!
それが、個性なんだもん。 
  
   
たとえそれが少数派であっても
「連中」による「スマート」じゃなくてもさー。
 
 
高そーなモノを持って見せつけたりとか
こんなのもっているからオレスマートだぜ、どや
みたいなものって
まぁ、なんというか、●●●●●●かな。
 
 
スマートを求めるのって
要は「モテ」なんですよね。
もちろんそれ自体が悪いと言うんじゃないんです。   
 
 
だからと言ってモテたい・・・となると
スマートばかりを追いかけるって
そんなの自体がスマートじゃないんだよね。
 
 
そもそもスマートっていう定義が
植え付けられてきた偏見の塊というか。
 
 
そんなのに振り回されるより
見る世界、住む世界を変えればいいって思う。 
  
 
あ、余談ですがそういえば今日から
東京有明周辺では年末の風物詩である
累計50万人くらいとかいらっしゃる
世界随一の少数派(??)の祭典があるようです。
 
 
職場とかでは少数派でも
それが集まれば50万人にもなるんだから
世界をひとつの感覚だけで切り捨ててはいけないなー
って思うんです。
 
 
成功していそーな人たちのことを盲信して
消耗するくらいだったら
自分が成長していく場所にも身を置きつつも
自分が輝ける場所を見つけていくのが
いちばんいいと思うんです。
 
 
僕は2018年、
自分を消耗させるところ・もの・しくみ・イデオロギーとは
ほとんど断捨離していきました。
(まだ細かいのは残っていますが)

  
今後は本音に正直になって生きていくように
シフトしていきます。

 
もう2019年は始まっている。 
   
 
 
 
まぁ、ここまで言いつつ、
下記では斜め上のツイートを
貼っておくんですけどね、はい。


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