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映画『ブルージャイアント』のパンフレットがマジでLP盤だった


妻子が割と急遽実家に外泊したため、実に3年半ぶりに1泊2日でフリーに。
特に誰とも約束していない、どうしようかな、、とひとりで昼食をとっていたところたまたまTwitterでこの投稿と出会う。

「ブルージャイアント」?なに、それ?
どうやらJAZZをテーマにした小学館ビッグコミックで連載しているマンガらしい。
後で調べると『BLUE GIANT』(仙台編)、『BLUE GIANT SUPREME』(JASS[ジャス]編)、『BLUE GIANT EXPLORER』(海外編)と連載タイトルが変わりつつ進んでいるようだ。

マンガはほとんど読まないので全然知らなかった。
ちなみにジャズもほぼ知らない。だけど、ときに聴くアシッドジャズは好きだ。飛行機のスターフライヤーに乗ったときにモニターから機内のご案内で流れるジャズが実は好き。これまで数回ほどジャズライブに行ったことがある。それこそ吉祥寺にあるジャズバーでも。映画にも出てきたSoBlueというライブハウスのモチーフとなった、ジャズの世界の東京ドーム(映画のままのセリフ)・ブルーノートには行ったことはないけど。

『ブルージャイアント』についてほぼ何も知らない僕だけど、
なぜか、なぜか、強烈に行きたくなった。
何かが、何かが僕を突き動かしたのだ。

急いで上映館を調べた。上映館は結構あるものの、どこもほぼ完売!?
なにせ、当日の昼過ぎだ。無理もない。焦って探す。

あった、吉祥寺プラザ。
うぉ!なんと20:20からのレイトショー!!

興奮したのも無理もない。
独身期間が長かった僕は過去に数年、映画館のレイトショーばかり通っていたことがあるからだ。
レイトショーはそもそも安い、そして人が少ない。ギュウギュウの中で隣を気にしながら見ることが少ないのだ。

ジャズ、10代の大学生、ひとり映画館、レイトショー(しかもミニシアターだった)、吉祥寺(ここも以前は何度も通っていた)…

ああ、あの時の感覚…!
蘇るあの感覚…
これに僕は突き動かされたのだ。
大の大人が、衝動でドライブさせるのは難しいようで実は簡単。僕だけ?

いやいや、これ、実は映画の登場人物たちもみな同じだった。
テナーサックス1本に世界一のプレーヤーを目指す主人公の宮本大(だい)。
4歳から始めた凄腕ピアニストの沢辺雪祈(ゆきのり)。
宮本大に刺激を受けてズブの素人からドラムを始めた元・サッカー部の玉田俊二。
皆それぞれがそれぞれにある思いから突き動かされ、バンド「JASS」を組み、観客0からスタートさせる。
そこから、一気にスターダムへ…のストーリーだ。

これ以上はネタバレになるので詳しくは映画を見てくれ。

孤独な戦い

"
たったひとりを感動させることから始まる
"
"
しかしそれまでは孤独な戦いが必ずある
"

明×暗、表裏一体とはまさにこのこと。
バンド、ダンス、お笑い、演劇、芸術など表現活動は、表面だけを見るならすごく華やかな世界だ。
バンドならライブやコンサートでの音楽はもちろん、照明やステージ、そして観客の歓声や一体感も加わってなおさらきらびやかに映る。
しかし「それまで」にはまさに孤独の戦いだ。

・あれができないこれができない…愕然とする
・人前で見せて自分の出来なさに悔し泣きする
・自分ができると思っていたことがその道の先輩にケチョンケチョンにこき下ろされる
・何も知らない人たちに無関心決め込まれたり、バカにされたり、ときに横車を押される
・しかもマイナー。どんどん人が少なくなっていくジャンル。
・そんなこんなで逃げたくなる

経験がある方なら、おわかりいただけるだろう。

映画では冬の仙台で唇を切りながらも雪空の広瀬川で必死に吹いていた大、
ズブの素人からゆえに2人に置いてきぼり感で悩む玉田、
大御所からひとりこき下ろされる雪祈。
3人とも寝る間を惜しんで練習し、夜を明かす。生活のためにもバイトは欠かせない…。

どれもどれも僕自身が演劇や大学生活で経験したことにシンクロしたのだ。

僕は大学時代、3年間演劇研究会に属して文字通り演劇に没頭していた。
演劇の世界も泥臭い。夜中まで寝る間を惜しんで練習していたし、僕は役者よりもメインで宣伝・制作担当をしていたからずーーーっとタスクが終わらず何度も何度も徹夜した。
その時で10年ほど前にブームはとっくに去っていて、観客も年々激減していた小劇場。
華やかな時代を知るOBたちにケチョンケチョンにこき下ろされ、チラシを配っていても受け取ってもらえない…。

周りが飲み会だー、合コンだー、ダリィから家帰って寝ようぜーっと言っていたときにも、必死にもがいていた。
最後の最後までキツかったという記憶ばかりが残っている。
本当に、本当に必死だった。

そのせいか、いや、その時の仲間たちも必死に協力してくれたこともあり、3年の最後の演劇公演のときに前年より観客を50名も増やしたのだ。それまで毎年30名のペースで観客数が減っていていた中でこれは大きな自信になった。僕がいた愛知県の大学は名古屋市内ではなく、名古屋から電車で1時間もかかるところ。そもそもの観客パイも少ない地方にもかかわらず、だ。
当時はネットもほとんどなく、紙(劇場での折込チラシや置きチラシ)と口コミ、部員たちの勧めだけ。あ、地元のタウン誌やコミュニティFMに宣伝してもらったっけ。「ぴあ」には載せられなかったけど。

さらにその中で、デザインすること(今で言えば、制作物をディレクションすることだったんだけど)が好きなんだと気づき、その道を歩むことに決めた。3年生の冬だった。
その原点は今でも繋がっていて、デザインや芸術の素養もない僕が、グラフィックデザイナーの道としてスタートするのはそこからさらに5年後。そして今のWebディレクターの仕事まで20年以上クリエイティブの仕事に就くことになるのだ。これはまさしく、奇跡だ。

いつの間にか僕の青春時代の回顧記になってしまったが(汗)、必死になるには原体験がある。
それは登場人物の3人も同じで、劇中でも紹介されている。
彼らにシンクロさせつつ文字通り回顧していたのだ。

すべては、 たったひとりを感動させることから始まる

"
たったひとりを感動させることから始まる
"
と書いた。

Webディレクターをしている僕が今だから言える。
Webもサービスや商品、会社のメッセージなどいろんな要素がある。
Webを見せて・読んでもらうなかでたったひとりを感動させることから始まるのだ。

感動と言っても、泣くとか惚れるとか大げさなもんじゃなくていい。
ちょっと気になる、いや、それこそ劇中に登場した新橋のサラリーマンが「来る確率は10%くらいかな」でよい。

その「たったひとりの心を動かすこと」が大変なのだ。

だけどたったひとりでも心を動かすことができたら、そこからドライブしていくことができる。
それは何馬力も、何十馬力にもなって。

現に僕は先のツイートで心を動かされたひとりだ。
タイミングも相まって見た僕はこうして5000文字以上の文章を書いているのだ。
その馬力は今流行りのAIには絶対に生み出せない。

それもそのはず、
AI自体に原体験がないからだ。
AI自体が感動していないからだ。

しかし、演奏はマジですごかったなぁ。。
ストーリーよりも演奏に身を委ねていた。
コロナやテレワークで思うように外に出れずに溜まっていたもやもやを洗い流す感じに。

身体全体が毛穴からぞくぞくするような感覚から何度もピアノの鍵盤を叩くように指で自分の太ももを叩き、自然にかかとがリズムを刻む。からっきし楽器を弾けない僕が曲と、3人の登場人物とシンクロするようにリズムを刻むのだ。

先のツイートで"ジャズライブを聴くと思えばすごく安いものだ"と。
いや、本当に!

しかも、ミニシアターのレイトショーで見るこの臨場感。
吉祥寺プラザの(古めの)雰囲気もあって言葉に出来ないくらいな感覚に2時間、全身を委ねた時間だった。

パンフレットがマジでLP盤だった件

最後に、タイトルに書いたこれ。
この写真↓


LP盤じゃん!!!びっくり!
これだけでも驚きなのに、中身を見ても(著作権の関係で公開できないのが残念)感動するような珠玉の仕様・デザイン・表現ばかりだ。

実際にはレコードでは回せない(そんなのが1100円で買えるわけないだろ!)けど
僕のクリエイティビティを回すことは簡単にできた。

これだ、これだよ!と。

チラシを作ったことがなかった僕は、チラシの研究を始めた。
演劇だったけど演劇らしさを求めるとアングラ色が強くなるのでなにか違う?と思った。
そう思った僕は音楽系のチラシやフライヤーを中心に収集し、研究していく。
模倣・サンプリングしながら再現していった。
形にしていく瞬間は産みの苦しみを味わったけど、印刷されて形になるとすごくうれしかったのだ。

パンフを手にとったとき、同じような感覚が瞬時に蘇った。
この刺激があるから、こういった時間は貴重なんだ。
大人になればなるほど、なおさら。


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