最近の若い女性やせすぎ問題(大学講義抜粋)

若い女性の拒食症の割合が増加しているという記事を最近見た。僕もそれには同感だ。大学のキャンパスを歩いていてもやっぱり女子大生のやせてる率は高い。中には明らかに痩せすぎだろうっていう人もいる。なぜやせ型の女性が多いのか。なぜここまで女性は体型を意識するのか。これらのことを考察してみる。


「やせ型女性=美」という一種の宗教

現代の日本では特に若者の間で「やせ型の女性=美」という価値観がはびこっている。一応昔から痩せている女性の方が美しいという風には思われていたとは思うがではなぜ今拒食症の女性が増えているのか。考えてみたい。昔は拒食症の女性は今よりもっと少なかった。つまり「やせ型=美」という価値観は変わっていないのにもかかわらず昔の女性よりも今の女性の方が「やせ型」にこだわっているといえる。これはなぜだろう。
その最たる原因はSNSだろう。SNSによって「やせ型=正義」のような価値観がさらに現代人に植え付けられていると思う。痩せている友達の投稿にいいねの数が多いと自分もやせなきゃと思ったり、話題にあがるインスタグラマーが軒並みやせている女性だったのでそれに刺激されたり。SNSが現代人に凄まじい影響を与えていると思う。でも実は「やせ型=美」という価値観は絶対的なものではない。社会によって異なる。例えば西アフリカのモーリタニアでは「太った女性=美しい」という考え方が根強い。彼らは太った女性を見ると太っているということは今まで食べ物に不自由なく育ったということなので、豊かな家に生まれた恵まれた女性であるとみなす。その価値観から発展していつしか太った女性が好まれるようになった。若い女性の太り具合は、一家の社会的・経済的なレベルを示すものなのだ。結果としてモーリタニアでは、「ルブル」という習慣が広まった。娘を無理やり太らせるラクダなどの乳を大量に飲ませ、飲めなくなると足先を2本の短い木で挟んで罰を与え、さらに飲ませる。そのような生活を強いられ無理に体重を増やして死亡した少女もいるという。我々からみるとこのような「ルブル」という習慣はアホらしく思える。太った女性こそが美しいんだと盲信して死ぬほどご飯を食べる。その結果死亡する女性まで現れる。僕からすればバカじゃないの?っていう感じだ。だが現代の日本の女性もこれと同じような状況だと思う。「やせ型=美」だとSNSに影響されてそれを絶対的なものかのように盲信して結果拒食症になる女性が現れる。この構造ってモーリタニアの状況とさほど変わらない。「容姿美」というものは時代や地域によって姿を変えるものでそれを追求するのはナンセンスだ。若い女性はもっとメディアリテラシーをつけて時代に振り回されないようにすることが大切だ。世界には「美しいも 皮一重かわひとえ 」(欧米)、「笑顔は美形の2倍の財産」(アラブ圏)など、容姿の美しさ以上に人柄が大切と説く格言も多い。我々が追求するべきなのはむしろこっちなんじゃないかと思う。時代や環境によって変わるものではないから。磨くべきは外見ではなく中身なのだ。


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