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紆余曲折ありますが「あ〜楽しかった!」と言って死にたい女の話(いたってポジティブ)

本人は比較的真面目に健全に生きているつもりですが、歩く食べログと言われたり、典型的B型一人っ子と言われたり。ネタの宝庫のようです。

10年近く前になりますが、なぐり書きするような勢いで毎日noteを書いていました。書くことが楽しくて。いや、正直にいうと楽しいというよりは吐き出すために。やってらんねーよ!の日々。泣いても喚いても仕方ないこと、笑い話にでもしなければ供養できないこと。それをできるだけコミカルに綴り公開したところ、みんな面白いと評価したり喜んでくれたりするものだから、私はそれで自尊心を保てました。

今思えば支離滅裂。バカみたいな愛の深さを表現したり、ポエミーでナルシシストなひとりごと。ときに、友だちの失恋を笑い話として供養するために。ネタとして吐き出さないとやってらんねー日々。衝動に駆られるように書いていました。

なのにどうしてか、ここ数年は書きたいこともなく、誰かと書く約束をしているわけでもないし、収入になるわけでもないし。noteから、そして書くことから離れていました。が!また、ぽつりぽつりと書いたり語ったりしてみようかな、というのが今の気持ちです。

不定期で。

それは届かない手紙。もう二度と会えない人びとのことを思いながら。または愛を伝えたくて。書くこと以外に表現する方法を、今の私は知らないから。

去年から、写真を始めたんですよ。一度、宣材写真を撮ってもらうことがあって、ヘアメイク1時間とスタジオ撮影20分ほどでデータ50枚?か100枚。で、約3万円。うん、火の車。それでも、プロのヘアメイクさんに整えてもらってプロのフォトグラファーに撮ってもらった写真は誰に見せても評判よく私は有頂天。とてもいい経験でした。そのことが、私のハートに火をつけました。私は私の手でみんなを美しくしてあげたい。

「美しさ」ってすごいですよ。

美しく在ろうとするとき、人は美しく扱われます。

ダイヤモンドを、ぞんざいに扱う人はいない。ていねいな言葉遣いに暴言を返す人は、きっと少ない。清らかな場所で、不快なことは起こりにくい。少しぼかした表現ですが、私はそのように思っています。自分を大切にすると他者からも大切に扱われたり、美しく在ろうとすると美しいものとして扱われるのです。造形の話ではなく、佇まいや心のあり方。言葉遣いも。

「あ〜楽しかった!」と言って死にたい。とは言え、「楽しすぎてまだまだ死にたくない!」のはざまで揺れる女のひとりごと。

さ、明日もきっといい一日。そのように言葉にすれば、きっといい一日。

以前、後輩がこんなことを言っていました。

「先に神様にありがとうって言うんです。そしたら叶うから」と。

冷静に考えて、神様に圧かけてどうするの・・・と思いますが、それも一つ面白いかも。面白いと思えば、思うことができれば面白くなるかもしれない。楽しいと思えば楽しくなるかもしれない。愛しいと思えば、愛が深くなるかもしれない。

さ、寝ましょう。私は歯磨きに20分かかるので、さぁ、寝ましょう。

脈絡のない撮って出しの言葉(これを言ってみたかった)。

大好きだよ、愛してるよ。おやすみなさい。

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