社会人として、自分は戦うべきなのか?不戦勝のススメ

2018.3.11 六本木アートカレッジの中の1セッション、「不戦勝のススメ」に出て思うこと。登壇者はドワンゴCTOの川上量生氏とLINE CSMOの舛田淳氏。

話を聞きながら思ったことを綴ります。

日本人は受験に始まり、みんなが集まる場所で戦うのが好きだ。
他人の比べられることで社会的承認が得られたことを確認し、社会における自分のポジションを確認しようとすることを、学校のテスト・受験・就職活動・昇格試験など、人生のあらゆる場面でやっている。

そして、日本のエリートは、受験の勝者。社会構造上、負ける人も勝負に挑まなきゃいけなくなっている。勝つと勝負は面白くなるから、エリート中心の社会では、こうした勝負が当たり前になっている。


私、根っからの負けず嫌いです。自分の人生の中で負けるってわかっている勝負はことごとく避けてきました(笑)
そうはいっても自分に対して「自分の生き方は間違ってるんじゃないか」って思ったことが何度もあります。それは日本社会に生きていて、社会における「正しさ」と、自分の中での信念が相反しているからなのだなと、この話を聞いて腑に落ちました。

今までの自分の判断の全てを、今の自分の生き方も、考え方も、価値観も、全て間違ったものではないと再認識し、改めて自分に自信が出てきました^^


勝負を避けたって書くと、逃げているみたいでネガティブ。
私の考えの根底にあるのは、みんなが同じことを得意なわけないのだから、
なぜ得意なところで戦おうとしないの?
できるだけ競争しないのが正しくないか?ってこと。

孫子だって戦わないに越したことはないって言ってるよね。


それと勝負しているときって、儲かってますかね?
価格競争とかいい例。価格競争が入ると経済の定石セオリーである需要と供給のバランスによる価格決定ってやつが、”量”でドライブされる。
高い付加価値、オンリーワン、すなわち勝負しなくていいと利益率は高い。


<今日の教訓>
勝負するときは圧勝するときがいいよね。
いい勝負、切磋琢磨している段階って、やばいよね。

正々堂々の勝負は勝率が悪い。強い者が勝つという当たり前のことが発生し、例えばビジネスなら資本金のあるところが勝ってしまうってことになる・・・

戦うなら短い期間で、勝ち切ること。
競合がいてもどう心を折るか、如何にして競争が非合理だと思わせられるか。
長い戦いは補給が必要になるし、勝負を左右する変数が増えてくる。

戦略とは、戦を略す、と書く。
戦いやすい方法は何かを考えよう。
例えば、
 ・日本のサブカルチャーは海外でもサブカルチャー。
 ・日本人が英語で小学校の頃から文学も哲学も芸術も勉強してたら、英語で脳が作られていく。でもネイティブに絶対かなわない。英語話者・英語脳でできた人のレッドオーシャンの中に飛び込むようなものだ。

日本のプロダクトはもっと2面性を追求すべし。もともと持っているストロングポイントとニッチとしての価値。2つあるといい。


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