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先祖、いや、ご先祖様。

先祖、いや、ご先祖様に対する思いには大いなるものがある。
なによりもまずご先祖様があってこそいまの自分があると感謝している。そして、人生での良いめぐりあわせはご先祖様があらかじめ仕込んで用意してくださったものだという感覚もある。

しかし、子どもの頃の私は、たいへん申し訳ないことだけれども「うちの先祖はたいしたものじゃないから自分もロクなものじゃないんだ」などと考えていた。劣等感、いや劣等コンプレックスがあり、自分を卑下する理由をご先祖様に押しつけていた(劣等感と劣等コンプレックスの違いについてはぜひ検索してみてほしい)。

大人になって父のうつ病をきっかけに信仰を持つようになり「ご先祖様に感謝しなさい」という教えをいただいた。「未だ罪から救われず苦しんでいるご先祖様の代わりに懺悔すればご先祖様は救われる。そうしてご先祖様が救われることで自分も幸せになれる」という深い教えだ。

しかし、入信当初の私は「ご先祖様、私はかくかくしかじかで苦しいです。どうか助けてください」などというお祈りを繰り返していた。教えと反対だった。ご先祖様のために祈るのではなく、自分のためにご先祖様を動かそうとしていた。まったく頓珍漢だったのだ。おすがり信仰はダメだとも言われていたが、この悪い癖はなかなか治らなかった。

それが、入信して30年以上たった現在では、おおむねこのおすがり信仰はなくなったと思う。ご先祖様にないものねだりをすることはなくなった。まっとうに感謝できるようになっている。
この変化がいつ起こったのか、残念ながらわからない。いつの頃からか、意識してイマココに集中し「自分を叱咤激励して失敗にこだわる」のをやめたことは、この因果のどこかにあると思う。気がついたら「自分がダメなのは先祖のせい」「ご先祖様、助けてください」から卒業していた。
ご先祖様、情けなかった私をゆるしてくださっているであろうことに深謝します。

(800字)


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