見出し画像

キャスリン・ペイジ・ハーデン『遺伝と平等』~「遺伝リベラル」の立場から

 リベラルは遺伝学の知見を無視する傾向が強いが、無視する必要はないし無視するべきでもないとハーデンは言う。遺伝学の知見に基づいてこそ、有効な打ち手が見つかるのだと。遺伝学を優生思想から取り返す試み。

 本書は第1部と第2部に分かれている。第1部は最新の遺伝学の知見を解説するパートであり、知能も非認知スキルも遺伝の影響を受けることを示す。ここまでは安藤寿康や橘玲の読者ならお馴染みの内容だ。ただし本書はアメリカというお国柄を反映して、人種差別に対する牽制を繰り返している。仮に黒人のGWAS(ジーワス。最新の遺伝子解析技術)のポリジェニックスコア(統計的に算出した遺伝子形ごとの表現型への影響度)が低かったとしても、ただちに黒人が白人より劣るという結論にはならないと強調する。また、GWASは大規模データから得る統計的平均にすぎないので、個人のゲノムを見ればその人の将来を高精度で予測できるようなものではないと言う。個人差が大きいからだ。
 第2部はいわば社会思想のパートだ。遺伝学をどのように社会運営に活かしていくべきかを議論する。この社会的な視点が本書の特徴だ。まず、遺伝は単なる運なので、それによって高い能力に恵まれた人が人間として優れているわけでもなければ、徳の高い人間ということにもならないことを確認する(アンチ優生学の立場)。運よく高い能力に恵まれた人がその能力を活かして仕事に就くことはもちろん否定しない。しかし、それによって得た果実は公正に再分配されるべきだ。また、遺伝的な困難を抱えた人にはそれに応じたサポートをすることが公平なのであり、単純に「平等な機会」を与えれば良いというものではない。このハーデンの主張は概ねロールズの「無知のベール」や「格差原理」に依拠しているといえる。本書で紹介されている心理学実験によれば、保守かリベラルかを問わず、「遺伝くじ」という純粋な運によって獲得できる成果に格差が生まれるのであれば、それは再分配するのが公平だと考えることが分かっている。ということは遺伝学の知見が社会常識として認められればロールズ的な再分配は社会的な合意を得られるということだ。

 本書の主張はマイケル・サンデル『実力も運のうち』と同じだといっていいだろう。サンデル本が「一の矢」だったとすれば、このハーデン本が「二の矢」ということになるだろうか。

 さて、橘玲が下記の記事において『遺伝の平等』に対する批評を行なっている。

 橘の説明によれば、本書が明確にリベラルの立場を取っているのは、その前にアメリカで出版されたロバート・プロミン『blueprint』への反論のためだという。プロミンはポリジェニックスコアを企業の採用基準にすべきだと主張するなど、優生思想的な提言を行っているそうだ。

 しかし橘はプロミンを擁護する。いわく、プロミンは優生思想なのではなく「遺伝現実主義者」なのだと。そして、ハーデンはプロミンなどの「遺伝現実主義者」に対して「優生学」という不当なレッテルを貼っていると批判する。ここで橘=プロミンの「遺伝現実主義」とは具体的にどのようなマニフェストなのかはよく分からないが、橘の著作のパターンから推測できることは、社会がIQ偏重の不平等システムであることは今後も変わらないので、個人は身の程を知って分相応に暮らすべきである、ただしいくらかの抜け道はあるので、せいぜいクレバーに立ち回ってサバイブしよう、という思想なのだろうということだ。橘はリベラルの欺瞞性を一切認めない新自由主義者である。

 以下は私の感想になる。アンチ優生学の立場から遺伝学を社会設計に用いるのは賛成だが、どこまで実効性があるのかは疑問に思った。たとえばIQの差を教育環境によって多少は埋められるかもしれないが、工夫の余地がどれほどあるのだろうか。IQによる経済格差は再分配の強化で是正できると思うが、現代社会はIQが低いとウェル・ビーイングにも悪影響を及ぼしうる。IQの不平等を是正する方策としては、未来の話にはなるが、IQを高める脳内チップとかIQを高める遺伝子編集薬物の実用化が待たれる。もしくはAIの発展によって人間のIQなど無用の長物と化す可能性もある。そのような科学技術的ブレイクスルーでもない限り、IQ格差にはほとんど手の付けようもないのではないか。
 また、ハーデンが言うようにIQは単なる道具にすぎないとしても、それが報酬に結びつくなら人々はIQの高い人を好み続けるだろうし、IQの高さと徳の高さにも相関はあるだろう(測定は難しいにせよ)。徳倫理学が教えるところでは「卓越こそ徳」である。ハーデンが提唱するように卓越=道具とみなして徳から切り離すことは現実的には難しいのではないだろうか。
 保険制度についても考えさせられた。民間の保険会社はゲノム情報からリスクを算出して保険料を決めたい動機がある。ポリジェニックスコアをそういう目的に使用すればディストピアになる。アメリカには遺伝情報を差別や格差を拡大する方向に用いてはならないとする法律があるらしいが、日本には幸いにして国民皆保険制度がある。遺伝学の進歩に怯えないためにも、この制度は守っていったほうが良いと思った。私はめったに病院に行かないので健康保険料は寄付のようなものだが、公正な社会のために必要な支出だと考えることにする。

 その他の感想については読みながら書いたツイートをぶら下げておく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?