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「ファイナルファンタジーⅦ」は夢。

 ぼくはあまり長い時間、何かをするのが得意ではない。全神経で向き合う癖が濃くあり、感覚の摩耗が酷く、すぐにエネルギーが底をついてしまう。いろんなものが色を失ってきて、豊かに感じ取れなくなるというイメージだ。1日で何かに向き合える時間は、限られており、明日にならないと回復しない。ゲームかっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!とぼくは正直思う。だけれどこういう意識を持って自分をコントロールしておかないととんでもないことになる。皆さんも経験があるのではないだろうか、集中することで許容量を超えてしまって「もうだめだあ〜」と唸るしかできなくなる状態を。例えていうなら、ディズニーランドの帰り道のようだ。夢中で楽しくて最高だけども、帰りの電車は地獄だ。もう底をついて「もうだめだあ〜」になっている。間違いない。

そんなぼくはゲームが好きだ。好きなゲームは古いのが多いが、濃くある。

その一つを紹介したい。PS版「ファイナルファンタジーⅦ」だ。そのリメイクが今日発売だ。


このゲームは、ぼくが初めて全編クリアした大作RPG。長い。びびった。だけど飽きることなくできた素晴らしいゲームだ。PS版なので画像は今見ると荒い。だがそこに想像の余地があり、街の暮らしからキャラクターの人間性、たくさん物語を想像できた。昔のゲームも悪くない。愛がある。

FF7の世界には、切なく、悲しく、嬉しく、そっと笑って、胸がたくさん苦しくなった。セフィロスの寂しさ。図書室で自分の過去を調べ続けるセフィロス。悲しく苦しく、独りきりだ。とてもじゃないがその心境を計ることはできない。今もこの文章を書いていて、心が、とても押しつぶされそうに思う。大好きだ。FF7。大切な物語がたくさん詰まっている。一人一人が誰かを思い、誰かを探し、世界の在り方を願った。ただのゲームじゃない。あれこそプレイヤーのなにかを変えてしまえるゲームだ。お互いに全部を理解し合えないことを苦しみ、それでも手を伸ばして理解しようと努める人の姿。ぼくは心を打たれた。

やっていてよかったと思える最高のゲーム。ありがとうFF7。



ゲームからもらったイメージで自分をコントロールしている部分がかなりあると思う。何もないところに大きな街を想像することが容易いのはゲームのおかげだと思う。想像力はゲームから「動き」を取り込み、生き生きと運動するようになった。体力、精神力は、HPバー、MPバーだと思えば少しは管理もしやすい(これ極端なやつ)。一番はたくさんの想像の翼をもらったことだろう。想像の世界ならどこまでも行ける。空を飛んだって知るものか。想像だけは間違いなくぼくだけの最高の遊び場なんだから。




読んでくれて、ありがとう。



また。




とまお


いただけた時には、本買います。本を。