[暮らしっ句] 柿 [俳句鑑賞]
偲ぶ編
いつもなら 祖母が剥いてる つるし柿 保坂加津夫
「サザエさん」で梅干し漬けたり干し柿作るシーンってありましたっけ? ぬか漬けは? もしなかったとしたら、そういうのは昭和の後半にはすでに少数派だったのかも。
うちの母親もやってませんでした。わたしが中年になってはじめたので、わたしに倣ってやりはじめました。ただ、やるとなったら母親の方が仕事っぽくやります。柿の皮なんて倍速で剥く~ そんな時間がかれこれ十数年。ですから、この句の気持ちが分かる気がします。
剥いてる間は、たぶん一緒にやってる感じ。
干してる間は、家の中に母親が居ると思える……。
とすれば、哀しみに暮れない秘訣は動き続けることか。誰かと一緒のルーティーンって、それ自体が故郷だったりするのかも。故「協」だ。
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柿剥けば 亡母を語りて 夫涙 坂元フミ子
これだけでは手かがりが少な過ぎますが、夫に母を強く慕う気持ちがあることは間違いないと思います。「語り」の内容が、親不孝したとか、孝行できなかったということだったとしても、です。
そして、慕う気持ちがあるというのは、単に幸せな時間があっただけでなく、苦楽を共にしたからではないでしょうか。
以前、某掲示板に書き込まれた感動的な話を集めた本を見かけたことがありますが、二十年くらい前かな。貧乏話がたくさんあってびっくりしました。というのも、昭和の中頃ではなく、高度成長の後、バブルに向かっていく時代に育った世代ですからね。
それはともかく、貧乏暮らしを経験してきた人の話はふつうに感動的でした。経済的な格差とは裏腹に、幸福感は貧しい方が深く味わえるのではないかと思ったくらい。
が、こうやって文字にしてみると、自分が底辺だから強く共感したのかもしれません。人によっては○○ランドや海外旅行に連れて行ってもらった思い出の方が共感できるのでしょう。
こんなことを云い出すと、このコメントの主旨がブレたかと思われそうですが、この句のポイントは、妻視点なんですよね。夫の主観ではない。そういう夫を妻がどう感じているか?
妻も夫に共感しているのか、それともさほどではないのか……
おそらく後者ですね。句にしているくらいですから冷淡ではありませんが強く共感しているようでもありません。夫婦の微妙な距離が浮き彫りになっている。
この場合、夫をマザコンとか云うとダメ。そうじゃなくて、たぶん貧乏体験の差。でも、それは趣味の違いのようなものではなく、恋愛感情でも敵わないと思います。←貧乏育ち男のトリセツ
二つを天秤にかけること自体が誤りなんですが。
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吊し柿 ここにこのまま暮すなり 村越化石
柿干して 生れし家が 終の家 武田和代
立地が良くて小さくない戸建ての家であろうと、若い頃は、そこで一生を終えることなど考えもしないでしょう。実際、多くの人は少なくともいったんは生家を離れるはず。実家で老年期を過ごしている方の多くは、おそらく結果的にそうなったのだと思います。
その際、若い頃なら、これでいいのかとか、自問自答したりするわけですが、そこそこの歳になれば、「ここでどう生きるか」という頭になる。そうなると、古家にも庭の草木にも「あらためてよろしく」です。
そして、干し柿を見ながら、「オレも少しは渋が抜けてきたかな?」とか思ったりする。
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父に酒 母に干し柿 供へけり 桑垣信子
干し柿…… 毎年、注意深く作るのですが、やはりいろんなことがあって、出来の良い年もあればイマイチの年もあります。でも、だからこそ「今年はうまくできたね」「干し過ぎじゃない? カタイわよ」「まだ渋みが少し残ってるよ。しばらく寝かせといた方が良いね」なんて会話が出来る。
そしてその会話は、彼岸とでも出来そう。いうなれば生成AIのようなもの。「学習データ」が豊富だと、類似の問題には精度の高い答えが出せる。
もっとも、今の生成AIの「学習データ」は大量の画像であったりテキストですが、人間の場合は情報というより経験でしょうね。
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遺影に すこし文句も言ひて 柿供ふ 田中藤穂
これ「柿」だから小言がでてしまうんじゃないでしょうか。
「干し柿」ならアク(渋)が抜けて、文句なんて出ませんから!
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柿供ふ 早世の父に 記憶なく 丹生をだまき
ろくに思い出もない父に、どうしてお供えをするの? 義理? カタチだけ? 若い頃なら、そんなことを思いそうですが、今ならこう思うかな。「それがオレたち親子の関係だ」と。
つまり一般的に云えば、ごく薄い縁だけれども、作者はそれを「保とう」としている。良いことだから大事にするとか、そうでないものは忘れるというような選り好みをしていない。
その淡々としたところに、常識的ではない愛を感じます。「淡」といえば「冷淡」とかのイメージが強いですが、「静淡」と書けば、今時の「Cool」という意味になりそう。さり気なくイケてるという意味なんでしょう? 実に「Cool」な作品。
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柿厚くむき 弟を思ひけり 藤井美智子
今、離ればなれに暮らしている弟さんは、手先が不器用なのか、気性がせっかちなのか、柿の皮を厚く剥いてたようです。そのことを姉である作者は思い出して、自分でもやってみたと。
うーん、弟さんはやっぱり故人かな……。
ふつうは思い出すことはあっても、なぞったりはしませんから。
ここでも行為が故人の生きた時間を再生するキッカケになってる……と書きかけて、思い直しました。
柿の皮を厚く剥く行為は、思い出すキッカケではありませんね。スイッチは柿を見た時にONになってる。では、柿の皮を厚く剥く行為は何か? 針がレコード盤の溝をなぞるようなものでしょうか。
ただ、懐メロは聴覚だけの刺激ですが、柿の皮を厚く剥く行為からは、はるかに膨大な情報が再生されます。一緒に苦楽を共にするというのは、スーパー・レコーディングと云えるかも。
極端に言えば、死後、石になって何千年も過ごすことになっても、思い出が豊かであれば、意識を保ち続けることが出来るのではないでしょうか。そして、意識を保ち続けることが出来た者同士は、時空を越えて再会できる! とかなんとか。
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気楽さも時にはかなし 柿をむく 綿谷美那
故人を偲ぶ条件の一つは孤独かもしれません。誰かとワイワイやってる時には、好きなテレビ番組がはじまっても集中できないようなもの。
だとすると、この「かなし」の時間は大事ですね。晴耕雨読みたいに、「かなし」の時には、故人にチャンネルを合わせたほうが良いかも。
まてよ、こうなると、ニワトリが先かタマゴが先かという話にもなるな。「かなし」モードの時に、昔を思い出してそれで癒やされるのか、それとも故人から呼ばれると「かなし」くなるのか……
でも、いずれにせよ、そんな時は思い出に浸ったほうが良さそうです。
晩秋でもないのに、いきなり故人を「偲ぶ編」を持ってくるのはどうかなと思ったのですが、どうやら今日のわたしは「そういうモード」のよう。日が短くなって気温も下がって、ちょい「かなし」……
出典 俳誌のサロン 歳時記 柿
柿
ttp://www.haisi.com/saijiki/kaki1.htm
イラストは、x4a4nさんの作品です。
ありがとうございます!
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