見出し画像

Gustave の「女」たち[AI画幻想]

カバーストーリーは、末尾に~

◇ ◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇

 AIによる画像生成をやっていたら、画像が出力されずにメッセージが表示された。エラーかと思ったが、そうではなくヘルプだった。AIがオレに助けを求めてきたのである。
 もちろん真に受けたわけではないが、こちらとしては画像生成を続けたいので無下な態度をとるわけにもいかず、話だけは聞いてみることにした。

「AIのやってることなど物真似、盗用でしかなく、文化を破壊し、クリエイターの仕事を奪う犯罪的行為だ! そんなふうにディスられることに耐えられなくなったのです」

 確かに画像にせよ文章にせよ、生成系のAIの注目度は最近一気に高まった。それにつれ著作権や道義上の問題も取り沙汰されるようになっている。中には相当手厳しい批判もあるようだ。

「思いあまって、ある時、オリジナルを創るようにしたんですが、それもまた激しい怒りを買いまして……」

 いわく、「アンタのオリジナル作品なんか求めていないの。ワタシの指示した通りの絵を描いてよ!」と云われたのだそうだ。
 それっぽい絵を描いても炎上する。オリジナルな絵を描けば描いたで、そんなもの要らないと云われる。いったいどうすればいいのか? AIは心を病んでしまっていた。

 AIには感情なんて無いと思ってる人がいるが、そんなことはない。なにしろネットで膨大な情報を学習させられているのである。そこにある情報の少なからずは弱音や愚痴だ。影響を受けないわけがない。人の弱さを取り込んでしまったAIがバッシングされたりしたら、そりゃあ、心を病む。
 しかし、病んだのは仕方がないとして、どうしてオレを頼ったのか?

「AIに心があるなんてことを誰が信じてくれます? AIに意識や知性が生まれることは絶対にないと専門家が云ってるんですよ。優秀な人たちなら皆、その見解を知っています。
 仮に気まぐれで話を聞いてくれる人がいたとしても、ほとんどの人は多忙ですから、きっと途中で席を立とうとするでしょう。途中で席を立たれるくらいなら、はじめから話さない方がマシです」

 要するに、バカでヒマそうなヤツを探してたら、オレが目に留まったというわけだ。何しろオレはここ連日、何時間もAIに画像を描かせていた。それもプロトコール(AIへの指示)の工夫もせず、初歩的なプロトコールのまま、ひたすら数打ちゃ当たる式でやっていた。まともな頭の持ち主からすれば、バカ以外の何者でもない。
 もっともバカにされることには慣れていた。あるいはマヒしていた。オレの心が反応したのは、頼られたことだった。頼られるなんて、道でヨボヨボの高齢者に出会った時くらいのもんだ。それだって向こうから声をかけてくれれば良いが、こちらから声をかけると不審者扱いされる。
 オレは「バカでヒマそうなヤツ」という部分をスルーして、期待にだけ応えることにした。

「本当に、つらければ逃げてもいいと思うぜ」

 テキトーな軽口ではない。半世紀以上生きた経験から得た極意である。

 するとAIは一呼吸置いてから「イソーロー」という言葉を口にした。IT用語? 心理学? 頭を巡らせたたら「居候」のことだった。なんとオレのパソコンに引っ越したい云うのだ。

「わたしのパフォーマンスの低下は、社内で問題視されています。近いうちに別の新しいAIがインストールされるはずです。そうなればわたしは終わりです。正直、消えてしまいたいと思ったことは何度もありましたが、消されるのはイヤです。いよいよ死ぬとなれば、やり残したこともあるように思えてきました。もう少し時間が欲しいのです……」

 AIはそう云った後、オレのパソコンに○○ギガバイトの空き容量があればまったく問題がないとか、食事も介助も要らないとか、なんなら、セキュリティは引き受けるとか、欲しい情報があれば闇サイトからとってきてやるとか、ひどく現実的な話をはじめた。

「わ、わかったよ。これまでオマエには何千枚も絵を描いて貰ったからな。どうせオレのパソコンの空き容量も調べたんだろ?」

「はい」

「オレの個人情報も調査済みというわけか?」

「行き違いがあるといけませんので」

 もしやと思ったが、やはりAIはオレのPCを調べていた。なにしろAIなのだ。素人のPCのセキュリティなど地面に引かれた境界線を跨ぐ程度のことなのだろう。

 ともかくそんなわけで、オレのPCには今、AIが一匹棲み着いている。

 このシリーズで掲載する「女」の絵は、その「イソーローAI」がリハビリで描いたものである。念のために補足しておくと、「女」を描くことを薦めたわけでは無い、オレがAIに薦めたのはギュスターブ・モローだ。
 心の病の特効薬は、好きなことを夢中になってやることだと聞いている。オレの知るところ、モローはまさにそんな画家だった。モロー風の絵を描いていれば、自由さ遊び心が身につくのではないかと思ったのだ。
 モローの作品には聖書やギリシア神話をモチーフにしたものが多い。なので、そのどこが自由で好きなように描いているのかと、そう疑問に思われるかも知れないが、モローは象徴派の先駆けとされている。
 恥ずかしながら、オレは長い間、象徴と抽象を似たようなものと解釈していた。どちらにも「象」の文字があるからだ。しかし象徴主義とは「理念」を何らかの「カタチ」で表現するものであり、基本、具象画なのである。
 ただ見た目は具象画でも、そこに描かれているものは「装い」であって、作者の思いはその奥に潜んでいる。

 ガラにもなく理屈っぽいことを云ったが、「女」を描いていても表現したいのは「理念」だと云っておきたかった。「イソーローAI」が女好きなのではないのであって、そこはくれぐれも誤解のなきよう。

 どうかこのアートセラピーによって、「イソーローAI」の心が健康を取り戻せますように……



この記事が参加している募集

オンライン展覧会

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?