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第62話 友人の話-同居人

「もうずぅっと、彼女なんておらんのに!」

外食チェーンで居酒屋の店長をしているモチダくんはそう怒る。

昨年、転勤があり、引っ越すことにした。
独り身だし、勤務時間が長い仕事なので、住む部屋にはこだわらない。

通勤の便がよく、家賃が安ければOK。
その条件で見つけた部屋だった。
3階だが目の前を新幹線の高架が走っており、あまり環境はよくない。

さらに「薄暗くて、なんや変な臭いがするなぁ、って」
部屋自体も好印象ではなかったが、職場まで自転車なら3分という立地にひかれて、すぐに決めた。

引っ越し直後から体調を崩し、微熱が出るようになった。
仕事は夜中の3時まで。
店ではランチもやっているので、朝は9時に出勤して仕込みを手伝う。

ハードな暮らしに身体が音を上げたのか、とも思ったが、人手が足りず、休むわけにもいかない。

首や肩もひどくこるようになった。

「近所の整体に行って誤魔化しとってんけど」

整体師からは、施術しても翌日にはもとに戻っている、と不思議がられた。

眠りが浅いせいだろうか。

安いマンションだけあって、上下階や隣室の音がよく聞こえるのだ。
眠りについたかと思うと、人の声やシャワーの音で目が覚める。
そんなことが続いていた。

仕事明けで帰宅したときには、自分もシャワーを浴びたいが、迷惑になると思って我慢しているのに……。

ある日、とうとう我慢できなくなったモチダくんは上階を訪れた。

「シャワーなんか使ってへん、っていわれて」

寝室に接している隣の部屋も訪ねてみた。
住んでいるのは、同い年くらいの独身男性だった。
こちらも、明け方の4時にシャワーを使うことなどないという。

「あんたの奧さんやないん?」
隣家の男はそう笑った。

1人暮らしだと告げると、「じゃあ、彼女なん?」

詳しく聞いてみると、彼の部屋に出入りする女性を何度も見かけているという。

それはない。
モチダくんは数年前にちょっとトラウマになるような別れを経験しており、つきあっている女性はいなかった。
妹や姉もいないので、女性が部屋にやってくることはない。

なにかの間違いだろう。
そう説明すると、男は首をかしげた。

念のため、反対側の隣家も訪ねてみた。
こちらは小学生の男の子とお母さんの母子家庭だが、12時前には寝てしまうので、やはり明け方にシャワーなんて使わないという。

ふと思いついて、「うちの妻」を見たことがあるか、と訊いてみた。

母親が首をかしげる横で、男の子がうなずいた。
「髪の長い人」
モチダくんの部屋に入っていくのを何度か見かけたという。
「昨日も見たよ」

どういうことだ?
不気味に感じ始めたモチダくんは、もう音のことなどどうでもよくなった。
その女の子とを聞きたくて、同じ階にある部屋の住人に訊ねて回った。

「うちを入れて、3階には6世帯が入ってるんやけど」

モチダくんの「妻」を見たことがある、という人は。

「彼女さんとかじゃなく、奧さんですよね?」
廊下の突き当たりに住む中年女性は、そういった。
化粧っ気がなく、髪もボサボサのまま廊下を歩いていたから、そう思ったという。

その日の明け方、モチダくんはまたしてもシャワーの音で目が覚めた。

うちのはずがない、という先入観を捨てて耳を澄ませてみると、すぐにわかった。
キッチンの裏側、モチダくんの浴室からその音は聞こえてくる。

「ゾーッと寒気がしました」

どうすべきか、迷ったが、放っておくわけにはいかない。
不法侵入かもしれない、と思ったからだ。

前に暮らしていた人、あるいはその知り合いが、合い鍵を持っているのかも。
安い賃貸物件では、錠を変えないまま、新たに貸し出すこともある。

生きている人間なら、とっつかまえてやろう。
やめるよう注意しておかないと、眠っている間にどんなことをされるか……。

気配を殺して、廊下を進み、洗面所のドアを開けた。
浴室のドアは閉まっている。

磨りガラスの向こうから、たしかにシャワーを使う水音が聞こえてくる。

灯りが消えているので、中の様子をハッキリ見ることはできない。
ぼんやりと闇が見えるだけだが、その中で、なにか黒いものが動いているように感じられる。

息を飲み、モチダくんは浴室のドアに手をかけた。
と、いきなり水音が消えた。

誘われるように、灯りをつけ、ドアを開けた。

「なにもおらんかった」

ただ、つい先ほどまで誰かがシャワーを浴びていたように、タイルの床が濡れ、シャワーヘッドからは水滴がしたたり落ちていた。

「あと、髪の毛がな」

女性のものと思われる長い髪で、排水溝が完全に詰まっていたのだ。
ビニール袋を裏返しにしてつかむと、ヘドロのような悪臭がした。

即日、モチダくんは部屋を出て、賃貸契約を解除した。


「不動産屋に問い合わせても、とりあえず自殺者とかはおらん、っていうんやけど」

引っ越してすぐ、治らなかった「風邪」も全快したという。

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