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生きる意味

朝ごはんを食べていたら父から電話がかかってきた。9時50分ごろに母方の祖母が亡くなった、母の仕事が終わり次第鹿児島へ向かうという内容だった。皿洗いと昼ごはんの準備をしつつ、今回の葬式は泣けるかなと父方の祖父の葬式を思い出してみた。 
中3の夏に父方の祖父が死んだときには全く涙が出なかった。父は親のことが嫌いで悪口をたくさん聞いてきたせいもあるかもしれない。3歳から6歳の頃は父の実家にあずけられ、お世話になっていたが、ある日を境に全く行かなくなった。のちにその理由を聞いてみると、祖父が犬をいじめているところを私が見てしまったせいらしい。そんなこんなもあって私もどちらかというと祖父のことが嫌いだった。たぶん葬式に来た人もみんなそんな感じだったのだろう。誰も祖父の生前の話や、別れを惜しむ言葉を言っていなかった。(その割に私、父、兄、父からみて叔父に当たる人以外全員泣いていた。直前まで祖父の悪口を言っていた祖母や叔父たちでさえ泣いていて、人間は意味不明だなと思った。)
今回の母方の祖母の葬式でも私は泣くことがなかったが、葬式で必ず泣かなくてもいいという発見を得た。確かに祖母とはこの世で会うことができなくなってしまったが、今まで共有した時間や思い出は消えることがない。物体としてはなくなってしまったが、魂は私たちがいた“大きな所”へ帰っただけなのだ。何も悲しむ必要はない。実際、葬式が終わり祖母の家に泊まったときに母はあれがないこれがないと叫んでいたが、祖母との思い出を元に物を探す作業は、私の中に祖母がゆっくりとなじんでいくような感覚がして、とても楽しかった。こうやって人はいつまでも誰かの心の中に生き続けることができ、私も死んでから生き続ける人でありたいと思った。
私はこの世が楽しいから生きている。死ぬほうが楽しそうなら死ぬが、まだ知らないことや出会えてない人がたくさんいる。死ぬには惜しいこの世界が、私は大好きだ。そんな世界がいつまでも在り続けられるよう、社会の一員として大人たちにもらったたくさんの物事や経験を次の世代に渡していきたい。
貧乏な我が家に生まれても、ここまでの教養を手に入れることができたのは教育・福祉制度がしっかりしている日本のおかげだ。社会に恩返ししたい、社会をよりよくしたいと願い行動にうつす面白い人たちと一緒に社会に貢献する、これが私の生きる意味である。