女子力

突然だが、私は「女子力」という言葉が嫌いである。
5年後、『広辞苑』に蔑称として載らないかなぁ、なんて呪いを送っている。(でも最近『広辞苑』の新版が出たから、30年後くらいかな。)

サラダを取り分ければ、ケガをした人に絆創膏を渡せば、ちょっと料理をしてみれば、化粧や服にこだわってみれば、「女子力高いね!」という言葉が飛んでくる。(まぁ、ここまであからさまに言われることも少なくなってきていると思うが。)

でもちょっと考えてみて欲しい。

サラダの取り分けも絆創膏を渡すのも周りへの気遣い、料理は家事をしているかどうか、化粧や服にこだわるのは、オシャレしたいという気持ち。

これらは、女性のみに求められるものなのか。じゃあ男性には要らないのか。

いや、性別関係なくない?

性別関わらず、周りへの気遣いができたら周りもハッピーだし、生活を送る上で家事は不可欠だし、オシャレ願望を満たせれば自分の自信にもなる。win-winやないか。

もともと別ものだった行動を、女子力という言葉で一緒にしてしまったがために齟齬が生まれたのではないか。行為に名前をつけるというのは、便利ではあるが時に呪いと化する。これが女子力!ってラベルを貼られたら、もうそれは女子力で、サラダを取り分けることと料理することがいっしょくたになる。それはちょっと違うよね。

女子力という言葉で行動を制限しないでほしい、と思う。私は周りの言葉に縛られがちなので、過剰に反応してしまうのだけど、みんなそれぞれハッピーに暮らせたらええやないかと思う今日この頃である。ハッピー万歳。私はこれからも自分のために料理をしていくからな。あと絆創膏くらい自分で持っとけ。

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