見出し画像

はじめまして

 幼少期から、人と話すことに抵抗感があった私にとって、絵を描くことが1つのコミュニケーションツールであった。
 言葉で表せないことでも、白い紙の上なら自由に表現できる。私が見ている世界や、思いの丈をぶつけられるのが救いであった。
 絵を描くことを仕事にしようかと思った時期もあった。しかし、私にとってそれは呼吸することと同等の行為であった。そのため、生命と直結することが恐ろしく思え、絵を生業にすることは辞めた。
 一方で、本を読むことも絵を描くことと同じくらい好きであった。小説の中の住人は、現実世界では到底できないことを易々と成し遂げたり、ときには励ましてくれる。それは、現実の人間関係で上手くいかないときの慰めにもなった。
 ただ、本を読むことが好きでも、書くことへの苦手意識は強かった。国語の先生からは、「読みにくい文だね」と言われることもしばしばで、文章を書く能力は乏しいという劣等感だけ残った。

 そんな気持ちを抱えながら、私は、大学に入り、文字を使った創作活動を始めた。きっかけは、コロナ禍で何も出来なかった時代に、文芸誌「煉瓦」の方々と出会ったことだった。私より少し年上のメンバーが過ごした、コロナ禍以前の大学生活は、まるで夢物語のようで、キラキラとしていた。いつしか、私も自然と筆をとっていた。
 そうは言っても、最初は、文章を数行書いては消しての繰り返しであった。すぐにフィクションなんて書けそうになかったため、エッセイから始めた。コロナ禍での大学生活の過ごし方、クワガタの幼虫を飼い、成長を見守ることで生を感じた話。実際にあった出来事を、物語風に変換すると、幾分か書くことに対するハードルが下がった。
 何本かエッセイを書き、短編の文学賞に挑戦することにした。題材は、50年前の沖縄のことや、パパ活をする少女、小児に性的行為をする人間の話など、どれも原稿を発表する際に言葉の責任を伴うものである。恋愛や青春をテーマとした小説を書こうにも、私が思いつく群像劇は世にある創作作品の領域を出ない。(かといって、社会的題材も私の拙作は凡作の域から出ないのもしれないが)
 私にとって、一人の人生を想像する、あるいは他人を知ること自体がファンタジー性を伴う。架空の世界を作り上げることより、現実で起きていること、リアルの人間を描くことが創作であった。そして、自分自身の過去を知られることに怖さがあった私にとって、小説内に事実を混ぜることができるのが、また救いとなった。自身を鼓舞すると同時に、慰めていた。
 私は、私が救われるために創作をしている。
「救われる」とは、独り善がりなようであるが、一方で、生きることにもつながる。

 作品の解釈はいくつあっても良いということで、私はあえて余白を残すよう心がけている。国語の時間で、作者の考えを読み取る問題が一番嫌いであった。作者の考えなんて、教科書の抜粋部分から分かる訳ないし、解釈なんていくらあってもいい。画一的な正解を求められ、点数化されるのが怖かった。
 そのため、賞を頂いた文学賞の講評部分を直ぐに読めなかったり(半年ほど経ち、動悸がしつつも、薄目で読んだ)審査員との対話は倒れそうになる。

 器用にこなせたことは無い。それでも、もがきながら生きていこうと思う。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?