『田園交響楽』でジッドは何を告白する

これは全くプライヴェートな理由で作られた、アンドレ・ジッドについての小さな研究である。

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「書くとは、心を明かすことである」と、フランソワ・モーリヤックは『神とマンモン』〔一九二九年〕の冒頭で、ずばりと言い切る。そしておそらくは、書くという事実だけで作家が自身について明かす啓示となっているであろう。ある意味ではすべてが告白なのだ。なぜならば文学においては無垢な表現などなく、何かは常に誰かによって述べられ、したがって常に主観的に見られ表現されるのだから。
[クロード・マルタン『アンドレ・ジッド』2003年]

フォーマルな読み

『田園交響楽』はアンドレ・ジッド(1869-1951)の小説である。
まずはあらすじを紹介しよう。

身よりもなく、全く無知で動物的だった盲目の少女ジェルトリュードは、牧師に拾われ、その教育の下で次第に美しく知性的になっていった。しかし待ち望んでいた開眼手術の後、彼女は思いもよらない行動を取る。開かれた彼女の目に写ったものは何だったのか。牧師と盲目の少女、牧師の妻と息子との4人が織りなす愛情の紛糾、緊張を通して「盲人もし盲人を導かば」の悲劇的命題を提示する。 
[『田園交響楽』(新潮社)のカバー裏に記載された紹介文]

『田園交響楽』の牧師と少女の無垢な世界は、「第一の手帳」後半部、牧師の息子ジャックとの対話以降急速に展開して悲劇へと転じる。
妻は次第に態度を冷たくし、開眼後のジェルトリュードは自殺、ジャックはカトリックへ改宗し旅立ってしまう。牧師は次々に大切なものをなくし、「心が砂漠よりもひからびて」涙も出せずに立ち尽くす。

『田園交響楽』では、たびたびキリストの聖句やパウロの手紙からの引用がなされる。ここでは特に重要な3つの引用について言及しよう。

「盲人もし盲人を手引きせば、二人とも穴に落ちん」本書の第一の手帳は、盲人が盲人を穴のすぐそばまでみちびいていく過程であり、「もし盲人なりせば罪なかりしならん」という聖句が語るところの無知の幸福によって奏でられている牧歌である。やがて盲人も開眼しなければならぬときがくるだろう。ジェルトリュードの開眼手術は成功するだろうし、牧師は自分の心の中に倫(みち)ならぬ恋の痕跡を認めざるを得なくなるだろう。ふたりが「穴」に落っこちる時期は差し迫っている。第一の手記が緩やかな店舗で無垢なる愛(無知なる愛といってもこの場合は同じことだが)の物語を繰り広げていくのに対して、第二の手帳は恐ろしく急テンポで残酷な覚醒の過程を記録して、ふたりを「穴」へ、破局へとあわただしくみちびいていく。ジェルトリュードは自殺をくわだて、「罪は生き―われは死にたり」という恐ろしい一句と格闘しながら死んでいかなければならない。己の信仰の挫折に直面した牧師の心は「砂漠よりもひからびている」。 
[若林真「『田園交響楽』について」1966年]

1つ目は「盲人もし盲人を導かば穴に落ちん」というキリストの聖句である。これは『田園交響楽』を貫く一つの命題であり、牧師とジェルトリュードの運命そのものを表す(と、フォーマルには読まれている)。「ジェルトリュードが肉体的な盲人だとすれば、牧師は精神的な盲人」 というわけだ。

では、牧師が精神的に盲人であったとはどういうことだろうか。それは2つ目と3つ目の引用に関わってくる。

ヨハネによる福音書の9章41節の、盲人を癒やしたことを信じないファリサイ派の人々に対する、イエス・キリストの言葉である「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る」と、ローマ人の信徒への手紙7章9~10節の「私は、かつては法律と関わりなく生きていました。しかし、掟が登場したとき、罪が生き返って、私は死にました」という箇所を、『田園交響楽』において、聖書の文脈とは違った意味で用いている。ジェルとリュードの運命を説明する働きをさせているのである。前者は、福音書では、盲目である間は罪の存在を知らなかったが、見えるようになって自分の罪を自覚するジェルとリュードの生を指し示している。無論、これは牧師への批判にもなっている。後者は、書簡では、復活のキリストをしる前の、沢山ある法律をすべて守ることは不可能であることから、罪の意識が発生したという、パウロの心の状態を説明しているのであろうが、『田園交響楽』では、聖パウロの教えを知らされなかったこと、つまり起きて、悪、罪の存在を教えられなかったことによって躓いた、ジェルトリュードの心の状態を説明する役割を果たしている。
[ 山本和道『ジッドとサン=テグジュペリの文学』2010年]

2つ目の引用は「もし盲人なりせば罪なかりしならん」である。これはジェルトリュードが、第一の手帳において罪のない無垢な存在であることと、第二の手帳における開眼の後その罪に気づく運命を暗示している。

3つ目の引用は「罪は生き―われは死にたり」だ。こちらはジェルトリュードが罪を犯して死んでいく運命にあることを強く印象づける、彼女の信仰上の躓きを示すものだ。

では具体的にその「罪」「躓き」とはなんのことだろうか。端的に言えば、牧師がジェルトリュードを愛したことだ。信仰に背くみちならぬ恋によって、ジェルトリュードと牧師は躓いた。「穴」に落ちた。

しかし、読者としては違和感がある。
「なぜ牧師はひどい目に遭わねばならなかったのか」。
これはフォーマルな読みでは説明のつかないことだ。なぜならこの問いかけは、牧師の何がいけなかったのかということ以上に、『田園交響楽』そのものがどうしてあの様に結末されなければならなかったのかと問うているから。

一貫して牧師の目線から描かれる『田園交響楽』。牧師の傍らで、牧師になりきって、ジェルトリュードと奏でる牧歌に耳を傾けていた読者は、焦りさえ感じる悲劇への「急テンポ」に違和感を覚えずにはいられない。

深読み

山本和道によれば、「『田園交響楽』は、福音書の自由解釈の悲劇」である。
もっと言えば『田園交響楽』は、ジッド=牧師の福音書の自由解釈の悲劇である。

『田園交響楽』があの様に結末されなければならなかった理由は、作者に帰せられる。これはあたり前のことかも知れないが、そう結論付けるにはいくつかのステップを踏む必要がある。そしていくつかのことが明らかにされねばならない。『田園交響楽』はジッドの告白であること。ジッドは牧師として『田園交響楽』の中に位置を占めていること。そうしてはじめて、ジッドが『田園交響楽』で何を告白しているのか(告白せねばならなかったのか)がわかる。そのときには自ずと、「急テンポ」も理解できる。『田園交響楽』が「読める」。

「書くとは、心を明かすことである」。モーリヤックに倣って大胆に、こう前提する。この前提は無茶なものではない。ジッドの作品の多く(『一縷の麦もし死なずば』『告白』『贋金つかい』…)はジッド個人の体験に基づいており、『田園交響楽』も例外ではないからだ。『田園交響楽』で作者はその心の内を明かしている。「告白」している。
では、ジッドは作品の誰(どこ)を通じて「告白」しているのか。そして、ジッドは牧師を通じて「何を」告白しているのか、告白せねばならなかったのか。

ジッドは主に牧師を通じてその心の内を明かしている。ジッド=牧師であることは、その宗教的立場から推し量ることができる。両者とも、プロテスタントであり、パウロには耳を貸さず、キリストの聖句だけを聞こうとする。「一九一〇年五月三〇日の日記において、ジッドはまず「カトリックではなくキリスト者であることがプロテスタントであるのなら、私はプロテスタントである、と『田園交響楽』の序文で言うことにしよう」と」 書いている。この記述は『田園交響楽』が発表される1919年の9年前だ。

『田園交響楽』を発表するまで、ジッドにはいくつかの重要な出来事が起こっていた。一つは『法王庁の抜け穴』刊行に伴った、友人クローデルからの激しい非難である。「公共道徳の擁護者」 であったクローデルは『法王庁の抜け穴』に激怒し、当時同性愛の疑惑があったジッドに詰め寄る。それに応じて、ジッドは自身が「命より」自身の妻を愛していながら、肉欲に関しては同性愛であることを書簡で打ち明けることになる。

「女性を前にして、私は一度も欲望を感じたことがなかった。私の人生の最大の悲しみは、もっとも変わらない、もっとも長続きする、もっとも激しい愛が、通常ならその愛に先立つものを全く伴わないことだ。その反対に、私の場合、愛が欲望を妨げるように思えるのである」「(……)そうなることを、私が望んだわけではない。私は自分の欲望と闘うことができる。欲望に打ち勝つことができる。だが、命令に従って、あるいは模倣を通じて、欲望の対象を作り出すこともできはしない」 
[クローデルに宛てたジッドの書簡 ミシェル・ヴィノック『知識人の時代』2007年 から引用]

クローデルはこの書簡に対し「同性愛は治療可能」と結論し神父を差し向けた。と同時に、ジッドに「カトリックに改宗するよう」迫った。この1914~1920年の時期に雑誌「NRF」刊行に携わる仲間たちが次々にカトリックに改宗し、ジッドもカトリックに改宗するよう迫っていた。

2つ目の出来事は少年マルク・アレグレとの恋愛である。

一九一七年に、ジッドは当時十七歳の少年マルク・アレグレと情熱的な恋愛を体験する。それは、ほとんど身内の内緒話だった。子供の頃から、ジッドはアレグレ牧師の生徒であり、それ以来、牧師は彼を弟のようにみなしていたので、彼の子どもたちはジッドを「ジッド叔父さん」と呼んでいた。(……)ジッドは同性愛の快楽のためにキリスト教の禁欲を踏みにじったのだった。「アンドレ叔父さん」は彼の祈祷書とともに最後のためらいさえもかなぐり捨てた。一九一八年6月、妻に「ノルマンディーで彼女と一緒に暮らすこと」はできない、「そこでは〔自分が〕腐ってしまう」と書いたあとで、ジッドはマルクを追ってイギリスに渡った。若者はそこで英語を磨き上げるつもりだったのである。翌一九一九年、相変わらず若者に惚れていたジッドは、オートゥイユのヴィラで暖房が故障したために、マルクの両親の家に住み込むはめにさえなってしまう。
[ミシェル・ヴィノック『知識人の時代』2007]

この出来事は『田園交響楽』の牧師とジェルトリュードの恋愛やその世界のモチーフとなった。また、彼が「キリスト教の禁欲を踏みにじった」ことは3つ目の出来事も引き起こす。

3つ目の出来事は福音書の15章6節においてキリストが肉欲を批判していたのを発見したことである。アンドレ・ジッドは『田園交響楽』の牧師と同じくキリストと聖パウロを分けて考えていた。その様子は『田園交響楽』において息子ジャックと対比される牧師の態度そのものである。ジッドにとってパウロは罪の象徴であり、キリストは愛の象徴であった。 

ジッドはパウロの激しい叱責の言葉に、戒律、戒めを過剰に感じ、反感を抱いていたと見なすことができる。これに対して、福音書のどこにおいても、イエス・キリストは、同性愛批判を行っていないのである。 
[山本和道『ジッドとサン=テグジュペリの文学』2010年]

しかし、キリストが唱えたのは愛ばかりではなかった。

一九一六年、ゲオンからカトリック教徒となったことを告げる手紙(一月八日付け)を受け取ったあと、一月八日の日記においてジッドは、ヨハネによる福音書の15章を読み返すと、6節の聖句「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう」について、「これらの言葉の意味が、突然恐ろしい光によって私にとり明らかなものとなった。……私は、本当に『火に投げ入れられた』のではないだろうか、既にこの上なくおぞましい欲望の炎のとりこになっているのではないだろうか」と書く。プロテスタンティズムの禁欲の姿勢を、彼はアフリカ旅行によって克服したはずであったが、肉欲の罪を再び意識したのである。イエス・キリストは、無神論に傾きがちなジッドにとっても、この上なく偉大な存在であったということでもある。 
[山本和道『ジッドとサン=テグジュペリの文学』2010年]

極端な言い方だが、ジッドはイエス・キリストに裏切られたようなものだった。
ジッドは妻を深く愛していながら、肉体的には少年を求めていたことを深く悩んでいた。彼の同性愛を否定し、罪とし、戒律を叩きつける(ように見える)聖パウロや、クローデルや、カトリックや、プロテスタンティズムの禁欲精神や…、ジッドの「外部」。これらに対して、イエス・キリストが同性愛批判を行っていないこと、「戒命、威嚇、禁制の類い」 を発しないこと、もっぱら愛について語ること…、ジッドの味方でいることは救いであったはずだ。

しかしキリストはいつもジッドの味方というわけではなかった。今や正義は「外部」の側にある。御心に叶う無私の愛と愛欲は、ジッドの前に「相容れないもの」として突きつけられたのだ。

これらの出来事がジッドに『田園交響楽』を書かせた。
このときの彼は、自身の福音書の自由解釈が挫折し、それが露呈し、自身(牧師=ジッド)の愛欲は「罪」であり、正義はもはや「外部」に、カトリックに、クローデルに、聖パウロにある…そういう最悪のシナリオを、絶望を、書かずにはいられなかった(アルジェリア旅行から帰ったジッドがパリの息苦しさに抗するために『パリュード』を書く必要があったように)。

『田園交響楽』とは、牧師=ジッドにとってまさにそのような物語だった。

息子ジャックは、牧師=ジッドにとっての「外部」の象徴である。ジャックはジッドの周囲と同じく、イエス・キリストと聖パウロを区別しない、戒律を重視する(同性愛を非難する)、そしてカトリックに改宗する。
開眼後のジェルトリュードがカトリックに改宗し、本当に求めていたのはジャックだったのだと激白することは、正義の移動を意味する。
今や正義は「外部」の側にある。ジャックの側にある。
牧師=ジッドは、その信仰に躓いた 。15章16節のキリストに気が付かなかった、盲目であった。盲目だった牧師=ジッドはジェルトリュード=少年マルク と「穴」に落ちていく。

こうして「なぜ牧師は酷い目に遭わねばならなかったのか」という問いに答えが与えられる。
「牧師はジッドその人であり、現実での肉欲にまつわる罪の意識に基づいて最悪の結末を書き出す必要があったから」。

***

覚えているだろうか、ジッドは1910年の日記で『田園交響楽』の名を口にしていたことを。もし、その頃には大方、第一の手帳の構想はできていたとしたらどうだろうか。ジッドは1916年に福音書の15節16章とあのような邂逅を果たし、第二の手帳に向けて大幅にプランを変更したのではあるまいか。実際ジッドは牧師とジェルトリュードを「穴」へと「あわただしくみちびいて」いったのではあるまいか。

ここには、牧師=ジッドが「相容れないもの」を抱えたまま、キリスト者としてのプロテスタントとして、幸福に至る可能性が残されている。我々が見ることのできなかった結末が、その先で開かれているのだ。

私は、事実がそのようであっただろう、と信じる。戒律なしに成り立つジッドの、牧師の、キリスト者としてのプロテスタントの、倫理を信じる。愛の倫理を信じる。
私は牧師が、ジッドが、救われる道があることを願わずにはいられない。


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参考文献
ジッド『田園交響楽』1952年新潮社
クロード・マルタン『アンドレ・ジッド』2003年九州大学出版
山本和道『ジッドとサン=テグジュペリの文学』2010年学術出版
ミシェル・ヴィノック『知識人の時代』2007紀伊國屋書店

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