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大切なことってなんだっけ

GIGに入社して2年と少し、ずっとSIerとして出向し様々な企業でサービス開発や運用保守を担当させていただいてきた中でずっともやもやと考えていたことがある。

今回はそれが少し腹落ちしたので書き留めておこうと思う。

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もやっとした感情

この2年間、ずっともやもやと考えていたこと。
信頼って?信用って?
「そもそもどうやって信用して、どうやって信頼してたっけ?」なんて、社会で生きていく上で当たり前のことをもやもやと考えてきた。

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僕は入社後1ヶ月のみ出向先の調整も兼ねた期間として自社案件に参画していた時期があった。
以降は出向先との兼ね合いで自社オフィスで作業したり、一時的に自社案件にコミットした時期を除いて原則出向先の業務にフルコミットしてきている。
その為、帰社するのは月に1度ある全社会議のときのみだった。

入社後半年〜1年は業務後の時間に社内課題や個人的な活動としてハッカソン等に同期と参加してきた。
そういったイベントで業務を共にしたスタッフ以外のメンバーとは年数に限らずほとんどのスタッフと業務を共にしたことがない。

しかし、良い上司や出向先に恵まれてきたお陰もあり本当に有り難いことにクォーター単位の経営会議ではステップアップ賞や事業部MVP賞といった社内賞を受賞させていただく機会もあり、続々と入社してくる同職種のメンバーと技術についてや日々の業務についてコミュニケーションを交わす機会も増えてきた。

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そうした日々の中で常に感じていたことは、僕と業務を共にしたことがない(あるいはそれに類似する何か)メンバーは僕をどう思っているのだろうか。逆に、僕は周囲のメンバーをどれだけ信頼できているのだろう。という漠然とした感情だった。
(予め断っておくが、社内メンバーが嫌いということでもなければ同職種のメンバーの発言を歯牙にもかけるつもりがない、ということではない)

ただ、学生時代やそれまでのアルバイト生活の中で無意識に行っていた他者への信用や信頼関係の構築と今現在の自分の感情に乖離を感じていた。

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信頼とは?信用とは

まずは言語レベルの意味から再度理解を進めることをした。
以下が改めてそれぞれを調べた結果だ。

信頼

ある人や物を高く評価して、すべて任せられるという気持ちをいだくこと。
(参照元:https://kotobank.jp/word/%E4%BF%A1%E9%A0%BC-539229)

信用

確かなものと信じて受け入れること。
(参照元:https://kotobank.jp/word/%E4%BF%A1%E7%94%A8-539182)

おおよそのサイトで調べると下記のようなことを述べていた。

「信用」とは過去の行動や成果を評価して確かなものであると受け入れること。
「信頼」はある人物に対して、未来の行動を信じて期待すること

またアドラー心理学では「信頼」とは、他者を信じるにあたり、条件を付けないことを言います。信用できるだけの客観的な材料がなくとも、相手をとにかく信じ切ることが「信頼」と定義されるのだそう。

また、アドラー心理学がテーマとなっている『嫌われる勇気』の中では以下のように書かれていた。

あなたから裏切られてもなお、無条件に信じ続けてくれる人がいる。どんな仕打ちを受けても、信頼してくれる人がいる。そんな人に対して、あなたは何度も背信行為を働くことができますか?

読んでみて、その通りだと思った。
次に過去の経験と照らし合わせてみた。

学生時代、勉強については成績という形で数値化される為信頼し信用することも容易かったが、感情的感覚的部分に関してはそうはいかない。
この時がアドラー心理学の言うところと合致すると感じた。
他の人には話したくない、見られたくないことでもお互いに(その時点では、評価しようがない)相手を信頼して話す。これを繰り返していく中で信頼関係が構築され次第に信用していっていた。

文字面からの意味で捉えたら、初対面や初めて共に何かをする相手を信頼することは矛盾を孕んでいるが、本来の人間関係はまずお互いに信頼し合うことから始まるのが良いと嫌われる勇気の著者岸見一郎さんも対談で仰っている。

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信頼し続けるために

弊社でも(おそらく)相手は僕を信頼してくれていたのだと思う。
けれど、僕は(中には)相手のことを信頼し続けることが出来なかったメンバーもいた。

アドラー心理学においても信頼し続ける、と書いてあるが一言で言ってもそれは難しい。
信頼し続けられるポイントは人それぞれあることと思うが、自分の中ではそのポイントがどれなのかを更に掘り下げていくことにした。

26年間生きてきた中で、似た感情を覚えたことや体験したことがないか振り返ってみると答えは思いの外すぐ見つけられた。

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当たり前のことを当たり前に行う

これに尽きた。

『当たり前』と表現してしまうと、「古臭い」であったり「どこか押し付けがましい」雰囲気を言葉から感じてしまうが、決して難しいことではない。
僕の中で大切にしている当たり前のことが以下である。

・挨拶をする
・相手を尊重する
・相手との距離感を慮る

人によって生きていく上で譲れないポイントやその優先度はバラバラだと思うが、僕にとってはこの3つはとても欠かせないポイントなのだ。
中でも挨拶をするというのは僕の中で当たり前中の当たり前だと考えているし、とても大切にしている。

小さい頃から、親に近所の方に挨拶をしないとこっぴどく叱られて育った経験や、所属していたスポーツクラブでは必ず始まりと終わりにコートに向かって全員が整列して挨拶をするのが習わしとしてあったり、長いこと続けていた演劇では大きな声で挨拶をして始まるのが暗黙の文化としてあった。

そうした生活環境で僕の中で挨拶をするというのは当たり前のことになったと同時にとても大切なものに育っていたのだと改めて感じた。

振り返ってみると、今までも極稀に僕にとっては大切にしたいポイントだが相手にとっては優先度が低い方との関係が疎遠になったり、その場での関係が終わると同時に終わってしまった方もいた。
それが結果として良かったのか悪かったのか、損をしたのか得をしたのかは分からないが、僕はこのポイントを大切にしてきたお陰で多くの方に助けていただいて育てていただいてここまでやってこれたと感じている。

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以前noteでこの本について紹介した。

表題の通り、大人になってから改めて人に好かれる言動・行動について筆者の経験談や著名なデータを参考に書かれている本で、日々の自分の言動や行動を振り返り見直すいいきっかけになる本だった。

様々なエピソードが紹介されている中に挨拶について書かれているエピソードがある。
著者が出会った方の中に、日々挨拶を欠かさずしていたことでリストラを免れた方や、中には共に業務をしたことがない方からの推薦で挨拶を欠かさず出来ている方だという理由で大きなプロジェクトに参加させていただけた話が掲載されていた。

人間関係において、挨拶はやはり大切で素晴らしいものなのだと感じたエピソードだった。

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大切なことを見直す

これからはより業務委託やフリーランス、副業という働き方が活発化してくるだろうと考えていて、よりチームとして即席で集まった烏合の衆で共創を求められていくシーンも増えていくだろうと考えている。
そういった中では、社会人としての基礎的な部分がしっかりと出来ている人かどうかというところもチームワークの観点で大きな判断材料になってくることと思う。

実際、まだまだ数は少ないながらに今まで出向先や、個人で請け負った業務で関わらせていただいて感じたことの中にコミュニケーションが取りやすいかどうかというのは重要なファクターとして感じている。
中にはそういったスタンスが合わなく(悪いということではなく)、あまり良い評価をいただいていなかった方や早めに契約を打ち切られてしまった方も見てきた。

弊社の運用しているメディアでも語られているが、業界業種に問わず自分で責任を負い個人として働くフリーランスというスタイルが注目されている昨今だからこそ、社会人としての基礎はとても見られている。

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まとめ

僕は何故、次第に信頼し続けることができなくなったのか。
あくまで、個人的な見解だし、僕が大切にしている考えの一つだが、(仕事にフォーカスした時)仕事が出来る人間は沢山いる。しかし、挨拶がちゃんと出来て仕事がちゃんと出来る人はより価値が高い。と考えている。

僕はどれだけ業務的に良いコミュニケーションが取れてもどれだけ実績があっても、中長期的に見ていて挨拶を疎かにしている方と末永く良好な関係が築けるか現時点では胸を張ってYESと言える自信がない。
今回改めて整理して、自分自身とても弱いなと改めて感じたし、度量が小さいなと自分に対しても反省した。

僕らはまさしくゆとり世代、更に下はZ世代と呼ばれる世代だ。
どちらも生まれたときからインターネットがある環境で育ち、インターネット共に育ってきたと言っても過言ではない。
この数十年で急加速的にSNSを始めとしたインターネットが成長し、それまでの人との関わりや付き合い、様式から大きく変化したと感じている。
また、知識として知っておくべきことも増え学校教育も変化していきつつあり共働きもより『当たり前』になりつつある。

そういう中で、僕が大切にしたいポイントと感じていることが次第に優先度が低くなったり他者との信頼関係を築くにあたってのポイントや感情の流れが変わってきてもやむを得ない、それが時代の変化なのかもしれないとも思う。

反面、それで損をするシーンも実は少なくないのではないかと思う時がある。
挨拶を交わすことで人間関係のスタート地点に立てるし、コミュニケーションも取りやすし、挨拶をしてくれる人に悪い印象を持つ人間はいない。

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今年から新卒として社会人になる皆は、時代の潮流も相まってより早く成果を出すことや何者かになることに必死になるだろうと推測するが、焦らず落ち着いて基礎的な部分から大切に自身を育んでいってくれたら嬉しいと思う。

僕もこれから後輩がついたときには挨拶からしっかりと伝えていきたい。
それと同時に僕も挨拶が大事という軸に固執しすぎることなく、そういう方もいるということを念頭において受け止めていく度量を鍛えてきたいと思う。

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