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年間パスポートを持っている2名の同僚をもって…TDL傍観日記

2月9日、29の日大好き♬とエレクトリカルパレードについて歌ってくれた…オンバト常連者に感謝を述べたいです。

私の周りのオリエンタルランド年間パスポート所持者
1.戸山の看護寮に募った、看護師の明けちゃん
(宵の明星から…あけちゃん)
鹿児島で元気に過ごしてっかね?JIMMY CHOOとヴィラコスタをこよなく愛する。月1回連泊ありのお得意様。

2.西新井大師のベンチャー企業的な精神科QQ マイバディ
真っ赤なドレスで目黒の雅叙園で結婚式を挙げた、横浜市のVIP病棟の看護師出身のバディ…ちなみ私たちの職種は「臨床保健師」という新しい枠組みで集められた4名。同じ歳が3名、私と、整形外科出身のサファイアちゃん。そしてバディ。あと1名の学卒のかわいちゃん…弟くんが重度障がい者という苦労人(家宅の人)美人で愛らしかった同期。

バディは、夜のカフェ代わりに…ディズニーランドに行くのが好きだった。
「なんて贅沢な時間の使い方」と2010年から2年弱は思ったものだった…
12時間の救急要請受け入れの電話対応当番を、週3回。1日20件の電話はザラで、なんだろうこの小さな「白い巨塔?」いやただの灯台だなと振り返る。本当にたらい回しにされた受け入れ困難者を、一時金10万が支払えるかどうかで見極める(問診表のように、選定基準は沢山あるのだけれども…
当時はSEさんが病院の要望に合わせて独自のシステムを稼働していた。
それを基に保健師が判断し、受け入れの場合は救急受け入れのベテランスタッフチームと手技専属スタッフ、ほぼ男手が5~6名体制で受け入れに臨む)当時の最先端の受け入れと、業務分担制の閉鎖病棟だ。
そこで行われていたのは電気ショック療法。大丈夫、すれすれのラインを
お話しするレベルだ。私小説のような話し、回顧録。

ここで買った、医師用の精神科の診断ハンドブック。今も大切に持っている。当時新しいDSMという診断が取り入れられた。何かの記事で従来のICD10から「薬剤との影響をふまえた」ために置き換わった問題点を懸念する記事を読んでおり、我が家の教訓は「教科書を疑ってかかれ」
実情を知るために、精神科医療に入り、早稲田の学生街から、足立区の西新井大師に居を移した。草加饅頭をうっている沿道がとっても魅力的でした。
美味しそう、北上したらまた伺いたいです。食べてません…

閉鎖病棟に入れるまで、面持ちは難しい…冷静に判断し、受け入れ可能となった場合は、周囲へ連絡し医師の診療の準備を行い、記録や説明文書の
用意一切を取り仕切る。そんな部署、退院促進係でもあったためケースワークも介護や精神科救急の医療制度も熟知しながら、ことにあたる。
そんな複雑怪奇な職場、冷静さ?と淡々と仕事をこなすことは求められる。
救急要請の電話はPHS持ち、そして病院配布のガラパゴス携帯にはひっきりなしに、救急や要経過観察の病態不穏な方々の情報共有が入ってきた。
「あぁ…ワークライフバランスって何?」口にはヘルペスウィルスで、
葡萄のように膨れ上がった後ができて爛れていた。赤く熟れた果実…
いやいや、マスクを付けて人に移さないように…それが10年前には既に実施していた習慣であった。

バディが好きだったものは、映画に関わるこの2つ。紙兎ロペとアキラ先輩
そして鷹の爪団、吉田くん。私もフロッグマンさんの掛け合いが好き。
1人何役すればいいのか…マルチタスクな芸達者。
それを受け継いでいる、1日5分ニュース英語も数年前から拝聴しています♬さて、そろそろおうち仕事。こなしていきまっしょい!


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