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夜を明かす場所がないまま、知らない国で街に放り出されたあの日

夜8時。電気のついていない、とても暗くて人気のないアパートの階段。
入れるはずの扉が開かず、ただただ呆然と立ち尽くしている。
俺はどうなっちまうんだろう。
気持ちは軽くないのに空に浮かんだような、とらえどころのない気持ち。

スコピエ空港。

北マケドニア共和国。
と言われても、ピンとこない人がほとんどだろう。
ギリシャとオーストリアの間の、国がたくさんある地域。そのいちばん南側を想像してほしい。あのあたりである。
おそらく日本人の99%が行かないであろうこのヨーロッパの小さな国の首都スコピエに、つい2時間前に降り立った。

ロックと中東の音楽を足して2で割ったような、エキゾチックなポップ曲が流れるリムジンバスで、スコピエの空港から市内にやってきた。
街には真新しい銅像が至る所に建てられ、なぜか凱旋門があり、これまたなぜか赤いロンドンバスが走り回っている。そして、やたら暗い。
なんだか、混沌としている。

真新しい何か。これは何なのだろう…

リュック一つで初めてのヨーロッパひとり旅、その最初の国である。
期待と、ほんの少しの不安を胸に、
どこまでも薄暗くてとらえどころのないこの首都を歩いていた。

宿はネットで押さえてあった。ドミトリーの安宿だ。
一泊1900円とかなり安かったが、評価も悪くなかったので、連泊で予約していた。

夜8時、地図でピンが立っている場所に来た。
スコピエの中心部、人通りもそれなりにある。
しかし、その活気とは対照的に、目の前にあったのは重厚で無機質なユーゴスラビア時代のコンクリートのアパート、その鉄製の窓のない扉だった。
ここに、宿があるのだろうか…?

インターホンを見ると、部屋ごとに分かれているボタンのうち一つの隣に、油性ペンで「HOSTEL」と書いてあった。
あった。ここだ。
押せば中から人が出てきて開けてくれる、普通そうなのだ。

が。

押しても応答がない。
何遍押してもダメ。
チェックイン、10時までできるはずなんだけど…。

こちとら泊めてくれないと宿無しになってしまう。しかもこの何も知らない国の首都で。
応答がないぐらいで撤退できる身ではない。

幸い大通りだったので、人通りがある。誰かにホステルの電話番号に電話をかけてもらおう。近くにいた人に事情を説明すると、快く引き受けてくれた。
が。これも出ない。つながらない。
困ってしまった。

立ち尽くしていると、おじさんがやってきた。
おもむろに扉の鍵を開けて、中に入っていく。住人らしい。
すかさず事情を説明し、入れてもらう。

中は階段になっていた。一緒に階段を上る。電気のない、真っ暗な階段。
3階に来るとおじさんは、「ゲストハウスはこの上だけど、俺はホステルのことはよく知らないから、適当に頑張ってくれ」といったようなことを言って、自室に消えていった。

4階の部屋の扉の前に立つ。中からは物音がする。
営業はしているようだ。

呼び鈴を押す。中で呼び鈴が鳴っている音はする。
話し声も聞こえる。でも、人は出てこない。

「今日予約している○○です!開けていただけませんか!」
ノックしても、何をしても。開かない。
なんでだ?
俺は、どうすればいいんだ?

だが、よく考えれば、ここまで客を無視してくる宿に泊まったところでこれっぽっちも楽しくないのだ。
英語で声をかけているのだから、多少すら通じないはずがない。
であれば、どうせここに泊まろうとしても面白くない。
別のところを探すしかない。

こうして、私は夜9時のスコピエに、今夜の居場所がないまま放り出されることになってしまった。

スコピエ中央駅。かの有名な丹下健三の設計。
その目の前を中国製ロンドンバスが駆け抜ける。

人間、どうしようもない状況になると、むしろ何も恐くなくなるものらしい。
初めてのヨーロッパでつい1,2時間前までおっかなびっくり歩いていたのが信じられないほど、無敵な気持ちで闊歩している。

スコピエの中心部を離れ、住宅街にやってきた。
地図で探したいくつかのゲストハウス候補のうち、何軒かが集まっている地区だ。
時間は9時半。チェックイン時刻が過ぎている可能性もあるが、そんなことを気にしていられる立場ではない。

1軒目。冬季休業中で、電気すらついていない。
2件目。電気はついているが、最初のホステル同様アパートの一室なので、共同玄関のオートロックを突破する必要がある。

困った。
そこに、二人の男性が通りを歩いてきた。
夜の路地で背が高くて恰幅もいいお兄さん2名、対、自分。
この人たちは信用していいのだろうか?
何かがあっても勝てる気がしないぞ…?
普通ならそう思うはずなのだが、この時はもはやその危機感すら無かった。
「あの、手伝ってほしいのですが…これこれこういった事情で…」
説明すると、彼らは親身に手助けをしてくれた。

彼らは2件目のホステルの電話番号に問い合わせてくれたが、結局その電話はつながらなかった。
しかしこのやりとりが、助け舟となった。
通りの話し声に反応して、ホステルのお客さんが通りまで出てきてくれたのだ。
仮眠をとっていたホステルのスタッフに話を通してくれ(ごめんなさい!)、午後10時すぎ、なんとか寝床を確保することができたのだ。
マケドニアのお兄さん2名に手厚くお礼を伝え、投宿した。

飲みに行く途中に見た、マケドニア郵政公社の本部ビル。
これも丹下健三作品。
現代建築と文化財のフリをした銅像の大群が同居しているので、
景色が極めて混沌としている。

そのお客さん(トルコ人)は陽気のかたまりのような人だった。「大変な目に遭っちまったし、一緒に飲もうぜ!!」ということで再び街に繰り出し、結果的に日付を超えてスコピエで酒場を3軒ハシゴした。親には「夜は外に出るな」と言われていたが、もはやそれはどうでもよかった。何も知らない場所でイチから自分で紡いだ縁でピンチを乗り切ったその疲れをツマミに、繋げた縁の行き着いた場所にいたトルコ人と一緒に飲むスコピエビール。信じられないほど美味しかった。

この日のスコピエビール。人生で一番美味しかった

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初ヨーロッパ単独旅の第1夜にいきなりスコピエで無宿状態になるとは、当然思いもしなかった。だが、右も左もわからない混沌とした場所で、たとえ小さい問題だろうとも自力で乗り切ったあの夜の経験は、強い芯となって自分の中に残っている。足場を外されたふわついた環境こそ、案外自分が見えない何かを引き出してくれるのかもしれない。

ちなみに、あのゲストハウスに悉く無視された理由は、いまだによくわかっていない。まぁ、拒否されなかったらここまで濃い経験はできていないしさ、いいんじゃないかな…?

ありがとう、俺を拾ってくれたゲストハウス。


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