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巨峰の誕生と東御市の栽培技術の歴史

 昭和20年、民間育種家である大井上康氏は、長い試行錯誤の末、日本の気候に適した新品種のブドウ「巨峰」を育成しました。この品種は、岡山県産の「石原早生」とオーストラリア産の「センテニアル」を交配して生まれたもので、大粒で糖度が高く、日本の多雨な露地でも栽培可能な特性を持っていました。しかし、戦中戦後の食料難の時代には、主食の米などの栽培に重点が置かれ、果樹栽培は後回しにされていました。そのため、巨峰は世に出ることなく、少数の理解者によって守られていたのです。

 昭和31年に長野県東御市では大井上先生の熱心な指導の下、巨峰の栽培が始まりました。当初は栽培が難しいとされ、多くの挑戦者が途中で断念することもありましたが、東御市では栽培が継続され、技術が確立されていきました。今日では、旧東部町の秀果園の巨峰の原木から採取された種枝がルーツである東部型の穂木が、日本全国の巨峰の苗木の生産に役立てられています。


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