本を読むようにピアノを弾きたい
気分がダレできたらウォーキング、下がってきたらコーヒー飲む。逆にイライラしてきたらハーブティーで対処。私のメンタル調整法です。
虚構がどんどん拡大していく
一度に複数の山には登れない。
私は障害者向けに就労継続の支援をする施設に通っています。今まで色々な仕事に就いてきましたが、今の職場では非常に心穏やかに働けています。障害者を持っているという点では、私たちは「健常者」ではないかもしれません、ただ私たちはいたって「健全」です。それだけは伝えておきたい。
働くことを否定的に考えている自分がいた。そうじゃないかもと思えるようになった。
嫌だと思ってることは、別に思い出さなくていいものなんだと思います。「まぁいいか」、「ストップ!」などなんでもいいけど、思考の再生を停止して、別のことに意識を向けるようにするといいのかなと最近気づきました。
勉強やら仕事やら、やってもやっても「追いつかない!」と思うことはたくさんあるけど、やめてしまったら目標から遠ざかってしまうのも事実。これが解決法という決定版みたいなのは僕は持たないけど、その状態、若干不快で若干苦しい状態の中にいられるのも実は人間としてすごいことなんじゃないかな。
「何かをする」ためには「他の何かをしないorやめる」という選択肢を選ばないといけないときもあるような気がしてきた。気持ちが上がってるとなんでもできそうな気がするけどね。実際に続けるのは大変。
「抑止力」って言葉、、、どうだろう。相手を「抑圧」するだけなんじゃないかな。結果として相手の暴力が爆発してしまうのは目に見えているのに、、、。
過去は頭の中にあるもの。
最初に作ったものがうまくいかないのは当然のこと。第1作目から完成してたら、その時点がピークなのか、他の誰かが作ったかのどちらかだ。
朝起きて、「よし、今日は何をしようか」と口に出して言うと意欲が湧いてくる。
誤った行動をとることを禁止することより、別の正しい方法を行うように促す方がいい気がする。
自分を傷つけることは、他の誰かを傷つけることと同じ。
動けば、動く。「自分から」動いていけば、「ものごとが」動き始めるということ。