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日本語勉強用の記録

 陽気な日だったので、自動販売機でゼリー✖︎スパークリングなんていう名前の飲み物を買ってしまった。

グレープ味でナタデココ入りと言うツワモノだ

 部屋で飲む気にもならなかったので、バス停からの帰り道にある公園のベンチでタバコを吸いながら飲み干したら、吸い殻を地面に落としてしまい、やれと拾うついでに何も意識せずに空き缶の中へ吸い殻を放り込んでいた。

 散歩でもするようにいつものんびりとしている近所の清掃員にとっては、吸い殻を拾う手間が省けて良いことかも知れない。はたまた缶の行き着くゴミ処理場の人にとっては、リサイクルの際に一手間なのかも知らないし、実は清掃員も内心、ゴミがあるほうがやることがあって時間を早く潰せるからありがたいのかも。可能性は人の数だけ増えると思う。自分が良いと思うことは、人物Aにとって良いことではなく、また人物Bから見れば、人物Aが良くないと思うこと自体が良くないことなのかも知らない。想像するだけで、答えは分からない。

 こんな変なことを考えるのは滑稽かも知れない。           初めて日本にきた大学時代に、バイト先の喫茶店で豆を挽いた際にポツポツと床に零れた珈琲の粉を閉店前の清掃で塵取りに押し込んでいると、コロンビアかどこかから、はるばる海を渡りやってきたというのにゴミとなる珈琲豆の人生に淋しさを感じたりしたので、自分という人間の思考の傾向なのだろう。tendencyのようなネガティブさはないが、「傾向」という言葉で日本語的に合っているか分からない。

 日本人は窮屈な環境に常日頃晒されていると思うが、パーソナルスペースに対する意識は高いと思う。混み合う前のバスの中では他人の関心を意識して、一席空けて座る人がほとんどだし、次第に車内が混み合うにつれて、どの人に近い席に行くか、ちらっと目をやり為人を確認してから、それとなく座席を取捨選択する様を見るのは面白い。

帰りのバスで、わたしは素敵な光景に出くわした。初老の男が「ここいらにフランス料理屋かなんかあるんでしたかね」と隣に座る女性に尋ねると、

「うん、ええ、そうでしたかね」と女性が言った。

同じく初老とみられるその女性の返事には、両思いなのにまだ付き合っていない少年少女のような可愛らしさがあった。「今の私の返事で彼は私のことをどう思っただろう。」なんていうような雰囲気を、わたしの今までの人生を二回以上過ごしてもまだお釣りがくるほどに歳をとった人間が醸し出していることに違和感を覚え、同時に微笑ましいような気持ちがした。

脈絡が全くないが最近、小坂忠の機関車という曲を知り、とても感動した。わたしと同じように現代に生き、今日この曲を知って感動した人が世界のどこかにいるだろうか。なんて妄想してしまう人はあまりいないのだろうか。


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