見出し画像

富岡信夫「早期胃がんを克服」(2023/12記事)

奇跡の生還(第185話)早期胃がんを克服 早期発見と信頼する医師との連携 未来の夢が助けになった 富岡信夫さん 株式会社モモアンドグレープスカンパニー 代表取締役. 統合医療でがんに克つ : 「がん難民」をつくらないために標準治療+. (186):2023.12,p.46-49.



「早期胃がんを克服」

早期発見と信頼する医師との連携
未来の夢が助けになった
富岡とみおか信夫のぶおさん(株式会社モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)

 2003年に設立したレコード会社、朗読とドラマCDを特化した、モモアンドグレープスカンパニー。代表取締役の富岡信夫さんは1970年代から80年代、90年代と音楽業界で活躍してきました。レコードメーカーでアーティストのA&R(Artists and repertoire)・プロモーションプロデューサーをしてきましたが、現在の会社では音楽業界の仕事に加え、主に声優さんたちが出演するオーディオドラマを制作したり、朗読の専門レーベルを立ち上げて、人々の心に残る作品を提供しています。
「社名は才能の原子たち(グレープス)を見つけ、羽ばたかせる(モモになる)という意味。さらにその子供たちから『モモ太郎』が誕生することを夢描いて設立した会社です」
 声優の森川智之、杉田智和、鈴村健一、梶裕貴、遊佐浩二、神谷浩史、小野大輔、柿原徹也、石田彰さんたちに、さまざまなストーリーの劇や詩を読んでもらっています。2007年からは作品によってイメージ曲も制作。
「さまざまなCDをリリースしているので、世間では『お耳の恋人モモグレ』という愛称で呼ばれてきました。本年で21年になりました」とユーモアたっぷりに話してくれました。

数々のアーティストをプロデュースした

 函館で生まれ育ち、青春時代を送った富岡さんは、函館の観光大使も務めています。現在71歳(昭和26年12月生まれ)。年齢を感じさせないほどエネルギッシュに活躍しています。
 富岡さんは上京して多摩美術大学(旧多摩芸術学園映画科)卒業後、渡邊プロに入社し、渡辺企画に配属されました。ここでは桃井かおりさんや浅野真弓さんを担当して活躍してきました。その後転職し、ワーナーミュージック(旧ワーナーパイオニア)にて邦楽部宣伝課の紙媒体を担当。A&R、中森明菜さん、時任三郎さんなどを担当して、大きな話題を呼んだ後、新レーベルハミングバード(現ワーナーミュージックに帰属)に転職。邦楽部宣伝課長として工藤夕貴さん、中村あゆみさん、浅香唯さんなどを担当し、時代の最先端を走ってきたのです。
 多くのヒット作を出していく富岡さんはヘッドハンティングされ、NECアベニューに転職。ここでも邦楽部宣伝課長として、八神純子さん、桃井かおりさんなどのアーティストをプロデュースすると同時に、ゲーム音楽、声優企画など新しいジャンルに挑戦していきました。

独立し、モモアンドグレープスカンパニーを設立

 そしてNECグループのソフト会社を一同に集めて設立した新会社「NECインターチャネル」に移籍し、音楽事業部マネージャーとして、アニメ、声優・企画CDとして「ヴァイス」シリーズ、「デジモン」シリーズなどを精力的に手掛けてきました。
「この時に初めて声優さんの仕事の奥深さを知り、ファンになりました。彼らの仕事の『匠の技』をこの世に残したいと思い、日本の名作を朗読CD化して継承したいと使命感を感じ、レーベルを立ち上げたんです」
 その後独立し、モモアンドグレープスカンパニーを設立。声優に特化して「ドラマ」「朗読」のCDレーベルを専門に制作。カタログ数は約200作品を保有しています。

10年くらい前から妻と一緒に年に1回は胃カメラ、MRI、大腸がんの健康診断を受けている

 芸能界という現場で仕事をしていただけに、富岡さんはお酒を飲むことも多く、煙草も1日80本から100本くらい吸っていたこともあるといいます。現在では喫煙者は肩身の狭い思いをすることも多いですが、当時の喫煙には市民権があり、歩きながらや事務所の中、レストランでも喫煙する人が多かった時代です。
「お酒はお付き合いで飲むことが多かったですが、煙草に関しては健康に悪いと思って40歳のときにすっぱり止めました。若いうちに結婚していましたから、当時は子供が3人いましたし、いつまでも元気で活動するには健康第一と思ったからです。お酒も付き合いでは飲みますが、自宅ではいっさい飲んでいません。そして10年くらい前からは妻と一緒に年に1回は胃カメラを飲み、脳のMRIを受け、大腸がんの健康診断を受けています」

ステージⅠの胃がんが見つかる

 主治医は武蔵境のかみやま胃腸内科クリニックの神山俊典先生。毎年検査をしていて、いつもは何事もなく終わるのですが、2020年4月10日の朝8時のことでした。富岡さん、68歳の時です。
「いつもお世話になっている神山先生から突然の電話があったのです。3月に定期検診で胃カメラの検査をしたときに、先生から心配な部分があるので、精密検査をしましょうといわれ、武蔵野赤十字病院に生研を提出して調べてもらっていました。その結果が出たということで、なんと胃がんが発見されたというのです」
 青天の霹靂のようでした。そこで再検査のために武蔵野赤十字病院に行くようにいわれました。時はおりしもコロナ渦真っ盛り。しかも武蔵野赤十字病院はコロナの患者さん受け入れ先の病院でもありました。
 富岡さんは紹介状をもらって武蔵野赤十字病院に行き再検査をすることに......。
 結果が出たのは4月23日で、ステージⅠの早期胃がん(胃体下部後壁)といわれました。
 胃がんは胃の壁の内側をおおう粘膜の細胞が何らかの原因でがん細胞となり、無秩序にふえていくことにより発生します。
 武蔵野赤十字病院の消化器科担当医の説明によると、富岡さんの早期胃がんは、胃がんのうちでもがん細胞が粘膜層と粘膜下層までに留まるもので、治療はリンパ節移転やがんの大きさは関係なく、可能であれば切除ということでした。手術は内視鏡的粘膜下層剥離術ということで、内視鏡によるものだということでした。
「粘膜下層に水を入れてがんを持ち上げ、その部分を電気メスで剥離していくということで治療時間は2時間前後ということでした」
 鎮静剤を使い、ほぼ眠っている間に治療は終了。術後は翌日まで鼻から胃にチューブを入れ、そこで問題がなければ、翌日から水を飲むことができ、2、3日後から柔らかい食事が可能になります。同時に治療中は胃を十分に洗浄して清潔な環境を保ってくれるということでした。
「手術は比較的短時間で行われましたが、はじめの3~4日はほぼ食事ができず、4日目ごろからおかゆを食べられるようになりました」
 ゴールデンウィークがあけた5月10日に入院し、3日後に内視鏡の手術が行われ、17日に退院しました。
「手術というと外科の先生が執刀するというイメージがありますが、この手術は内科の先生によるものでした。がんのできている位置が奥深いと外科医の手術になるそうです。私の場合は、かさぶたのように胃の表面にできているので、内科の先生の手術でした。術後の生活はほとんど変化はありませんでした」

肺の細胞診はしないで、現在は異常なし

 ほかに「右肺上葉に肺がんの疑い」があるということで、入院中に胸の検査も行いました。
「胸の検査をしたときに、3つくらいの影があり、心配だといわれました。先生もこの影については、毎年検査をしているが、大きくなっていないので、大丈夫とは思うけれど、心配なら細胞診をすることも可能だといわれました」
 そこで知人であり、後輩の医療コンサルタントに聞くと、細胞診にはリスクも伴うといわれたのです。
「もし悪性の場合、へたにさわると、がんが全身に広がるリスクがあるというのです。またある知人の話ですと、同じようながんの疑惑がある腫瘍の細胞診をしたところ、その腫瘍が悪性だったため、一気にがん細胞が体内に回ってしまい、残念ながら亡くなってしまった方もいるという体験談も聞きました。そこで今回は、細胞診をしないで見送ることにしました。
 それを神山先生に伝えると、今までの検査結果から診ても、大きさがあまり変わっていないので、来年の5月の検査まで待ってもよいのではないかといわれました」
 退院してからは、ほぼ普通の生活をしており、8月に再検診をしたところ異常なし。
 以後2月と8月には検診にいき、2023年からは、もとのかみやま胃腸内科クリニックに戻り、定期的に検査をしています。2023年8月の段階でも異常は認められていません。

信頼できる医師のいいつけを守り、定期検診を受けることが大事

「がんになった原因を振り返って考えてみると、当時は仕事面で、大きなストレスを抱えていました。それ以外はあまり心当たりはなく、体調が悪いこともありませんでした。でもひとつだけ、思い当たることといえば、......」
 富岡さんは、主治医のいいつけを必ず守ってきたのですが、ひとつだけ、守らなかったこととがありました。それはヘリコバクター・ピロリ感染症がみつかり、その除菌をするようにいわれたことがあったのです。
「先生からたくさんの薬をもらったことがあったのですが、それをしなかったわけです。それがいけなかったのかと思っています」
 2010年には一次除菌に失敗。その後、2020年に2次除菌には成功したものの、富岡さんにとっては神山医師は、心から信頼している先生。
 その医師のいいつけを守らなかったことが、胃がんの原因のひとつになったのではないかと推測し反省しています。
「まずは信頼する医師と出会うことは大切なことですが、その医師からいわれたことを実行するのが何よりも大切だと思い知りました」
 もうひとつ、富岡さんが守ってよかったというのは、定期検診をしてきたことでした。
「信頼する先生のもとで10年くら定期検診をしてきたことが幸いし、早く発見できました。私も妻も毎回、胃カメラの検査と大腸がんの検診をしていますが、大腸がんの検査では、毎年、必ずポリープが1つか2つ発見されます。その時、そのまま切除するわけですが、今までおかげさまで悪性はなく、切除するので保険がおります。保険はかけておくとよいとつくづく思いました。特にがん保険は大切ですね」
 すでに70代に入った富岡さんの友人も、このところがんになる方が増えているといいます。とはいえ日ごろから定期検診などをして、早期に発見ができた方は、治療も比較的軽く、早く元気になっている方が多いといいます。
 これからもたくさんの夢があるという富岡さん。健康に留意して、さらに素晴らしい仕事をしていただきたいものです。

●お問合せ
株式会社モモアンドグレープスカンパニー 富岡とみおか信夫のぶお

〒185-0001 東京都国分寺市北町4-3-51
TEL: 042-359-4723
FAX: 042-359-4724
メール: tomioka@momogre.com
サイト: https://momogre.com/

■取材・文
フリーライター 宮西みやにしナオ子なおこ

上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒業、日本大学大学院総合社会情報研究科博士課程修了。博士(総合社会文化)、女性能楽研究、生き方研究家。著書には『朝2時間早く起きれば人生が変わる』『和ごころのある暮らし』『菜食は素晴らしい』など多数。2014年「東久邇宮まごころ文化褒章」受賞。 http://naoko-Miyanishi.com/(linkrot) (Web Archive(2020.02.04))

📷挿入写真(7枚)

記事挿入写真①
①モモグレ代表・富岡信夫さん [p46]
記事挿入写真②
②29歳の富岡さんと16歳の中森明菜さんのデビュー前。ロサンゼルスにプロモーター映像とレコーディング時の写真 [p47]
記事挿入写真③
ラジオ出演時の写真 [p47]
記事挿入写真④
④ふれる博物館にて。戦国武将の鎧を体験 [p48]
記事挿入写真⑤
国立くにたちはっぽんライブハウスにて。応援している、浪曲澤雪絵さわ ゆきえさん(左から2人目)とハートトウハートの親子ユニット [p49]
記事挿入写真⑥
⑥小学・中学の同級生と [p49]
記事挿入写真⑦
⑦ワーナー時代の上司、先輩達と飲食会 [p49]
雑誌の表表紙
月刊誌『統合医療でがんに克つ』
2023年12月号 Vol.186 (2023.11.27発売)

編集協力:点滴療法研究会、米国法人蓮見国際研究財団
発行:クリピュア、発行人:吉田繁光、発売:星雲社
ISBN978-4-434-33204-3
🔗版元ドットコム 🔗国立国会図書館サーチ

【備考】推薦図書

「最高のがん治療」とは「標準治療」のことである [↗]


👨🏻富岡信夫「歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡」 https://note.com/tomisan_go/n/ne3eab0e3833f
👦とみさん情報局(Twitter) https://twitter.com/Tomisan_GO
👦とみさんプロフィール https://Bit.ly/TomisanBio
👦とみさんディスコグラフィ https://Bit.ly/TomisanDisco
👦とみさん便利リンク https://lit.link/TomisanGO