富田里枝 浅草辻屋本店四代目

和装履物スタイリスト。浅草で代々営む和装履物専門店「辻屋本店」の四代目です。毎日、着物…

富田里枝 浅草辻屋本店四代目

和装履物スタイリスト。浅草で代々営む和装履物専門店「辻屋本店」の四代目です。毎日、着物で働いてます。https://getaya.jp

最近の記事

「草履のいろは」を解説しました

着物専門誌『七緒』 『七緒2022秋号』の「草履のいろは」のページで台の高さと格の高さ、疲れにくい草履とは、など私が解説させていただきました。 履物の知識は、着物本やインターネットで間違った認識がかなり流布しているので、取材していただいてありがたいです。 私が辻屋本店を継いで10年になりますが、ようやく専門誌で草履について語れるところまできたのは感慨深いです。 先々代、私の祖父が経営していた頃、時代は高度成長期。 大都市圏への人口集中が加速し、私鉄沿線に建った駅ビルに、

    • 寄席が好き。

      寄席が好きです。 ちょっと時間が空くと足が向きます。 浅草という演芸に触れるには恵まれた土地で生まれ育ったものの、寄席に行くようになったのは、辻屋本店を継いだ10年前くらいから。 当時は事業継承や店舗移転など、忙しいうえに精神的にもツライ日々だったので、仕事帰りに徒歩2分の浅草演芸ホールでちょっと時間、落語を聴くのが救いでした。 最近の落語ブームで落語会はずいぶん増えたと思いますが、定席があって気が向いた時にひょいと入れる寄席があるのは、なんとありがたいことか。 古典芸能好

      • 「民藝の100年」を観て思ったこと

        国立近代美術館で開催中の「民藝の100年」を観てきました。 民藝とは「民衆的工芸」の略語で、民藝運動は1926(大正15)年に思想家の柳宗悦、陶芸家の河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。 大量生産の工業製品が浸透していく時代、近代化=西洋化という流れに警鐘を鳴らし、日本各地の手仕事を見直し「用の美」という価値観を提示。 名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「健全な美」として 収集・展示、出版物などを通して世の中に発表していきました。 展

        • 呉服業界と和装履物業界は別である

          最近、気付いたことがあります。 草履や下駄など和装履物は、着物まわりの小物とひとくくりにされているのだ、ということ。 呉服屋さんでは、反物に並んで帯締めや帯揚げなどと一緒に草履や下駄を置いてあったりしますから、世間では履物も呉服屋さんで買うものと思われているようです。 想像してみてください。日本中から靴屋さん、そしてデパートの靴売り場がなくなったら、どこで靴を買いますか? ブティックやセレクトショップに置いてある何種類かの靴の中から探すしかないですよね。 履物専門店がどんどん

        「草履のいろは」を解説しました

          西は草履、東は下駄

          あくまでも印象としてですが、西日本は草履で、東日本は下駄を好むのかな、と感じています。 だいぶ前になりますが、福岡市で3年ほど暮らしていた時、浴衣の季節以外で下駄を履いている人をほとんど見なかった気がします。 当時、茶道教室に通っていて、お稽古に舟形下駄を履いて行くと「草履みたいな形の下駄があるのねぇ~」と珍しがられました。 私は一日中、下駄を履いてますけど関西からご来店されるお客さまにも「地元の店は下駄の種類が少ない」「京都は下駄の値段が高い」などとお聞きします。 先日、

          家業を継いで10年経ちました

          私は2011年2月に、実家の家業である和装履物店「辻屋本店」を継ぎました。 https://getaya.jp/president/ 今年でちょうど10年。 大正元年創業、100年を超えるいわゆる老舗で、外から見たら何の苦労もなく引き継いだように見えるかもしれません。 主婦から社長へ会社の経営などまるで素人で、専門的な勉強もしてこなかった私が四代目社長になろうと思ったのは、先代の伯父が「廃業する」と言い出したからです。 和装業界はバブル崩壊後、急速に縮小しつつあり、和装

          家業を継いで10年経ちました