【試読版】たくさん文字を書くこと

 このマガジンは月4万字以上の更新をめざして書いていくのですが、それに合わせて、今回はたくさん文字を書くことについての話です。 


 
 
 
 小学生の頃に『バケモノの子』の小説版を読んだ時、「人間の世界は文字がたくさんあって嫌」みたいなことをバケモノたちが言っていたような記憶があります。確かにそうで、街を歩くだけで看板、家にいるだけで本棚など、意識してみると普段の生活でも狂気的なほど文字が飽和している。
 
 そういう中で僕が文字を一番見るのがTwitterです。安定して毎日何時間もTwitterをしていることを考えると、一日に読んでいる文字の量は万をゆうに超えるでしょう。
 意味のない文字列でも、繰り返しツイートされるテンプレでも、そこには「わざわざそれをツイートした」という「意味」がある。僕も多い時は一日200ツイートなんてしていたから、200回分の意図をインターネットに発信していたわけですね。そう考えるとグロい現実だ。
 
 しかし、僕は小説家になりたい。そのため、書いた文章を削らなければいけない場面も当然出てくる。後から自分のツイートの文面を編集できない、無課金版Twitterのようにはいきませんね。
 僕は自分ではほとんど削らないけど、後で見たら「ここいらないな」と理解できる箇所は結構あったりするのだ。そういう時に文字を削るべきか? というのは、いつか答えを出しておいた方がいい問題だろうなと考えています。
 
 話は変わりまして、僕の友人が「自分自身と対話をするために小説を書いている」というようなことを言っていたことがあります。この友人とは小説の書き方が似ていて、プロットを書かないでいきなり本文を書き始めるという共通点もある。
 理由は同じで、プロットを書くとそこで満足して小説まで書かなくなってしまうから。記述を走らせながら、その物語の流れがどこに向かうかを見て、自分自身の心の動きを探るわけです。
 心理療法のひとつにイメージ療法というのがあります。色々な種類がありますが、とにかく患者に何かしらのイメージを思い浮かべてもらうことで、リラックスする効果を狙うものです。その中でも、自由に色んなことを連想して心理状態の好転を図る方法は、プロットを書かずに小説を書くという行為と少し似ていますね。
 
 そうなると、たくさん文字を書く人は、頻繁に自分との対話を行っている人という気がしてくる。自分自身と話をするには、一度感情を言葉に置き換えていくしかないから。本当に自分自身と言葉を交換しているわけではありませんが、何か内側に溜まっているものを言語化していくことで、初めて自分の輪郭が見えてくるものな気がします。小説に限らず、文章を書きながら「自分ってこんなこと考えてたんだ」と気づくことは多い。
 というわけで反対に、その過程で生み出した文字をよく削る人は、それを誰かに伝えることに重きを置いているのだと思える。自分のためだけに書くのであれば、不要な部分なんてありませんからね。削るにしても増やすにしても、とにかく一度書いたものに手を加える場合、それは確かな伝達の意識を持った言葉に変わる。
 
 そういうことを考えて、じゃあ自分はどっちに振ろうかと思ったら、やっぱりまだわかりません。というのは、自分の意識を純に搾って出力された文章が面白いのか、自分の意図を順に絞って入力していく文章が面白いのかが判別できないから。漢字の違いで意味が変わるのも面白いけど、この一文に関しては僕がちょけただけです。
 先程は自分のために書く文章と誰かに何かを伝えるための文章を対比させましたが、どちらが悪いということはない。究極まで自分のために書かれた文章が、たまたま似たような誰かの心に刺さることはあるので。というより、本当に人にぶっ刺さるものというのは、ある程度そういった側面を持っていることが多い気がします。純文学を見ると、わかりやすく自分の悩みなんかが吐露されている。それは感情的で冗長であればあるほど文学的なようにも思う。個人的な感想ですが。
 
 どちらが自分に合っているのかはわからないけれど、どちらがよりできるのかはわかる。圧倒的に、自分のために書く文章だ。今のこの文章だってそう。そもそも自分は、誰かに伝えたいことというのがそんなにない気がする。
 僕があまり小説を宣伝しないのは、それが単なる自己表現の経過だからなのかもしれません。自分の文章は、良くも悪くも独りよがり。それで商業作家を目指しているのだから割と救いようがないのですが、本当に誰かに流布したいポリシーができるまでは、自己解釈を突き詰めていってもいいような気はしている。 
 もちろん、自分のために書く文章でも改稿を加えることは大いにあります。よりよい言葉が見つかったらそちらに換言するし、よりよいテンポを思いついたらそちらを目指して文章を切り貼りする。が、それでも根本が自分のための文章であるならば、その毛色というのは枝先まで変わらない気がしています。今、根本の対義語として枝先を提案した。
 
 というわけで、このマガジンでは自分のための文章をたくさん書いていきます。それはエッセイだったり小説だったりする予定ですが、何にしても誰かに伝えたいメッセージとかはあまりない。
 お金を稼ぐ気もなくて、有料にしているのは「興味がある人だけ」という環境にしたかったから。受動喫煙してしまう人を生まないよう、喫煙所に入って煙草を吸うようなものです。そのたとえはいささか失礼すぎるかもしれないけど。
 自分の発想を整理するにしては、引き出しというより集積場です。本当にごちゃごちゃすると思うし、かなり勝手な話の飛び方をすると思う。それでも見るだけ見てみたいという方は、購入していただけるとすごく嬉しい。おおっぴらに書きづらいこともちょいちょい書くと思う。
 たとえばある人の精神内に毒があったとして、それを処理するためにその人が書いた言葉が、たまたま他の人にとっての血清になることがありうる。みたいなモチベーションを、しばらく信仰してみたいなぁと思っています。よろしくお願いします。

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