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【小説】水心散れば魚心

※所属しているサークル、Light Fiction Clubのワンドロにて執筆しましたものをこちらにもアップさせていただきます! 46分の大幅タイムオーバーをしました! 許してね。

以下本文。


水心あれば魚心
 
「chill」という英単語にはまぁ様々な意味があって、その多くはひんやりするような冷たさを言い表すような名詞だったり動詞だったり形容詞だったりするのだけれど、今ざっとネットで検索して調べてみたところ、こんな意味もあるらしい。
 ──殺す。
 7.〈俗〉〔人を〕殺す、殺害する。
「つまりこれは殺害予告の可能性があるわけだよ。岸時くん、君へのね」
 どうやらこの意味を元から知っていて僕に「chill」という英単語の意味を調べさせたらしい岸々塚みねこは、ワクワクが表情に漏れ出て止まらないぜというような笑んだ気色で、悪趣味にそう告げた。
「いや……、さすがにそれはないだろ。ある日突然机の中に殺害予告が入っている男子高校生なんてそういるもんじゃないと思うんだけど」
「可能性は捨てきれないと言っているだけだよ、私はね」
 そう嘯いてはいるが、実際彼女の方ではこのメッセージが僕に対する「殺害予告」である可能性はほとんど捨てているようだった。ただ、そうだったら面白いなぁと思いながら、僕をビビらせるためだけに言っただけに見えた。
 ただ、この謎を楽しんでいるのは本当だろう。
 謎解きをしないと生きている感覚がまるでない──岸々塚みねこはそういう人間だから。
 
 
 
 おさらいをしよう。
 今日学校に来て着席すると、僕の机の中に小さな手紙が入っていた。
 てっきりラブレターかと思った僕は、そうでなくともつい最近恋人と別れ意気消沈していたところだったのでとりあえずはその手紙の存在を周囲に秘匿し、「ラブレターをもらって舞い上がっているばかなやつ」にならないよう一人でこっそりその手紙を開封──すると、そこにはこう書いてあった。
 chill──。
 この一単語のみが、コンパスを使いノートを切って作られたのであろう綺麗な円形の紙に記されており、他には何の記載もなかった。
 その奇妙な出来事に怪訝そうな顔(と、後で岸々塚に言われた)をしていると、それを嗅ぎ付けた岸々塚が僕のところへやってきて、勝手にその謎を解き始めた。以上が──
「以上が今までのあらすじ、……ってことで整理できてるよな?」
「『勝手にその謎を解き始めた』のところは『岸々塚みねこさんが大仰大仰そのフシギを解きにやって来てくれました』に変更していただきたいけれど、まぁ六十点程度ならあげてもいいよ。『ラブレターをもらって舞い上がっているばかなやつにならないよう……』の赤裸々加減が大幅加点だったね」
「やかましい」
 それに、「大仰」の用法が間違っている。大仰は「大変ありがたいこと」ではなく、「大袈裟に」という意味だ。
 ……こういう知識は僕の方があるのだけれど、残念なことに僕は頭の回転が悪い。そしてさらに残念なことに、僕は、なぜかこういうなぞなぞみたいな状況に出くわすことが人より多い。具体的には、一年生の六月に殺人事件の第一発見者になった。
 ……こんななぞなぞよりもそちらの方がよほどドラマに満ちていて、その事件について語ってくれという見えない読者の声が聞こえそうだけれど、なにぶん割ける時間の制限があるので、そちらの方は割愛させていただく。今はとりあえず、その頃から僕は度々岸々塚に頼っていて(というか、「頼らされて」いて)、その関係が高校二年生の三月である今まで続いているということだけ分かってもらえれば、それでいい。
「にしても、六十点? 大幅加点をしてもそんな点数なのか」
「そりゃあそうだ。むしろ二十点を渡していいくらいだったよ。今の君の説明じゃあ、肝心なことが抜け落ちているじゃないか」
「肝心なこと……、あぁ」
 指摘を受け、僕は再度その手紙について回想する。……なるほど、確かに先程の説明では、最重要の手がかりとも言える大事な情報が伝わらない。
「──セロハンテープか」
「その通り」
 そう。
 僕の机に入っていたこの手紙には、というより件のこの紙は、大量のセロハンテープが貼り巡らされていたのである──張り巡らされていたのではなく、貼り、巡らされていた。もっとも、全面くまなく貼られているのだから、こういう場合に巡らされているという表現を用いるのは、実は正鵠を期してはいないのかもしれないけれど。しかし、厳然たる事実として、その紙は何重ものセロハンテープでガチガチに固められていたのである。
 もっとも、手紙そのものは既に岸々塚がどこか別の場所に移動させてしまっているので、今ここにはないのだけれど。部外の人間に手がかりを預けるのは、探偵としてはなんとも無粋で野暮でぞんざいな対応とは言えたけれど──しかし僕は探偵ではない。探偵というなら、むしろ岸々塚がそれにあたるだろう。
「にしても、セロハンテープで厳重に封された手紙か……。客観的に見れば誰かの無意味ないたずらなんだろうし、実際僕もそう思うんだけれど……、しかしそうなると、ああも綺麗に円形に切り取られていたことが不思議ではあるんだよな」
「ねぇ岸時くん」
「ん?」
「もう時間がないから、あと五分でファイナルアンサーを出してね」
「……んっ?」
 もう時間がない? それは、どういうことだろう。
「どうもこうも、私があの手紙を別の場所に移してもう二時間くらい経つでしょう? ……あーあ、言っちゃった。これ大ヒントだよ。これで分からなかったら岸時くん、探偵どころか、学校やめた方がいいよ」
「ちょ、ちょっと待った。もしかして岸々塚、お前、もう分かってるのか? この手紙の謎が」
「うん」
 と、岸々塚みねこは楽しそうに目を細めて、子どものような可愛らしい笑顔で僕にそう宣言した。
 ……いつもこんな感じだ。
 僕が悪戦苦闘している問題を、岸々塚は横から現れて、すぐに解いてしまう──まるでその問題が僕に用意されていたものではなく、初めから岸々塚のためにあったかのように。いとも容易く、意図もなく奪い去ってしまう。
 だから僕は、岸々塚に対する劣等感を、本人には言わないまでも心の底ではずっと抱えていて──
「はいはーい! ポエミーになる余裕はないよ、もう解決編入んないと時間制限に間に合わないんだから」
「なんでポエミーになってると思ったんだよ!」
「だって、難しいこと考えてる顔してるから。岸時くんは本当に謎に向き合っている時は、そんな堅い顔をしないからね」
「堅い顔、って……」
「──もっと楽しんで、誠実に向き合ってる」
 う。
 ……僕は岸々塚に対する劣等感は持っているけれど。
 それはつまり羨望の裏返しなわけであって。
 謎が好きな人間に謎を楽しんでいると、誠実に向き合っていると言ってもらえるのは──僕にとって、正直、嬉しいことではあった。
「もう実際、自分の中で回答はあるんでしょ? だったら言ってみなよ、それを。恐れず、臆面なく」
 まるで僕の心を見透かしているように、岸々塚は僕の回答を促した。
 ……仕方ない。
 僕は、今まで考えた中で一番それらしい答えを、ここで言うことにした。
「……これはつまり、薬物取引の手紙なんじゃないか?」
 僕の言葉を、岸々塚は黙して聞いた。
「さっきの『chill』の意味の中に……、『マリファナを吸う』っていうのがあった。つまり、これはそれを隠語として扱った、違法取引用のキーなんじゃないかと思うんだけれど……」
 そもそも、岸々塚の性格からして、僕に素直なヒントを出すとは思えない。あえて僕に「chill」の意味を調べさせたのは、この意味を視界に入れさせておくことが真の目的だったのではないかと──そう考えた。
 ……あれ、でも。
 そういえば、岸々塚はなんで「chill」に「殺す」なんて意味があると知っていたのだろう?
「大仰」の意味を間違えるように、岸々塚はこういうのを覚えるのが苦手で、こんな多義語の暗記なんていうのは特に岸々塚が苦手とする範囲のはずなのだけれど……。
「岸時くん。……やっぱり君は、僕の期待していた通りの人間だね」
 岸々塚は顔を下げ、感情の読めない声色で僕の方に歩いてきた。
 そして、顔を上げ。
 満面の笑みで──こう言った。
「全っっっっ然違うよっ!!」
 本当に楽しそうに。無邪気に。
 大人がミスをしたのを全力で追求する子どものように。担任教師の計算ミスを鬼の首を取ったかのように騒ぎ立てる勝ち気な男子小学生のように──岸々塚はうれっしそうに、そう告げた。
「……あぁ、違うかぁ」
「うん、全然違う!」
「いやぁ、僕も実際違うんじゃないかと思ってはいたんだけれどね。ただまぁ、ダメ元で言ってみたんだ」
「うん、ダメで元々だったね! ダメ元ダメ元! あはは!」
 ……そろそろ、効いてないアピールをするのもしんどくなってきたな。
 ──ひとしきり。
 ひとしきり笑った、というか爆笑した後、岸々塚は僕を教室の外に案内し始めた。
 曰く、こうらしい。
「さ、解決編を始めるよ。ここで時間制限はオーバーしてしまったけれどね──」
 
 
 
 僕たちがやってきたのは、化学実験室だった。他量の試験管と水道、それに真っ黒の耐熱机が目立つ、無骨な実験室である。まだ残っているのだろう、確か部活動の定刻をもう過ぎてはいるけれど、それでも吹奏楽部の楽器の音が、渡り廊下を隔てたここにまで響いてきている。
「……もしかして、ここにさっきの手紙を置いたのか?」
「半分正解。手紙を置いたのは確かにここだけど、ここじゃない。手紙を置いたのは、この教室にある冷凍庫の中さ」
「冷凍庫?」
 確かに、「chill」という言葉は根本的に「冷やす」という意味を持つけれど……しかし、それは安直すぎやしないか?
「安直な可能性に真実味がないと考えるのはいかにもミステリ的発想で、現実味がないね。これは正しく現実なのだから、正解も当然、正しく現実的であるべきなのさ」
 そんなふうに余裕ぶって、岸々塚は冷凍庫から例の手紙を今度こそ大仰に取りだした。丸い丸いシルエットは、確かに岸々塚の仕草と同じくらいよく目立つ。
「この手紙の奇妙な点は、メッセージが『chill』しか書かれていない点、セロハンテープでテーピングされている点、それと見落としがちなのが、この円という形そのもの。まぁ、ここはさほど重要ではないんだけどね」
 大層勿体ぶりながら(さっき、時間がないって自分で言っていなかったか?)、岸々塚は楽しそうに謎解明の解説を開始した。
 楽しそうに。
「ところで岸時くんは、『あぶり出し』という文化を知っているかな?」
「あぶり出し? それなら知っているけれど……」
 確か、みかん汁みたいに乾燥すると化学変化で色がつく液体を紙に滲ませて、それを熱して文字を浮かび上がらせるというやつだ。子どもの頃に読んでいた漫画に登場して、当時はいたく憧れたものである。
「……いや、でも今回のはまるで逆だろ。『炙る』と『冷やす』じゃ、明らかに全然違う」
「いやいや。真反対であることがつまり同じ結果を出すということはよくある話じゃないのさ。岸時くん、私と君のようにね」
 多分本当に何も考えず、岸々塚はそんな冗談を飛ばした。本当の本当は、そんなことを少しも思っていないだろうけれど。
「つまりね。この場合文字として浮かび上がるのは──『氷』だったっていうことなんだよ」
「……氷?」
「うん。氷」
 氷、氷……。
 ……あぁ、なるほど。
「ここまでくればさすがに岸時くんも事の真相に辿り着いたかな? まぁ、実際には真相というほど大したものでもないんだけどね──つまり、もう言ってしまおうか、セロハンテープでぐるぐる巻きにされていたのは、セロハンテープとセロハンテープの間に水を閉じこめておくため。円形なのは水が分散して形が崩れない、全方向に均等に力が散らばる形だから。『chill』というのは単にこのメッセージをちゃんと読むための指示だね。また、さすがに氷じゃ詳しい文言は書けないだろうから、私はさっきの『chill』という単語の『殺す』という意味もこの手紙に含まれていると考えているよ。つまりこれは脅しの手紙だろうね。だからある程度、私の方で犯人の目星もついている」
 いちカギカッコで全ての謎を解説してしまった岸々塚は、時間がないからと言わんばかりにもう手紙に閉じ込められた氷を取り出す作業に移っていた。二時間経過したというのがヒントというのは、なるほど、これが確実に凍るのを待つための指標だったのだろう。
「ほら。岸時くんも是非に手伝ってよ」
 そう言われ、僕も多重セロハンテープを慎重に剥がしていく地味な作業に加わった。
 地味な作業ではあるのだが、地味ゆえにまぁ心が折れそうになる。なにせ、氷を崩してはいけないという制約もあるのだ。水の状態でも崩れないよう厳重に梱包されていたわけなのでまぁ大丈夫だろうとは思うけれど、それでもやっぱり怖いものは怖く、あえて慎重にならざるを得ない。
 水も心も、氷も散らされないように。
 慎重に慎重に──「chill」と書かれたその紙を、ゆっくり丁寧に弄っていく。
「そういえば岸々塚。お前、なんで『chill』に『殺す』なんて意味があるって知ってたんだ? お前がそんな英単語の暗記に精を出すとはあまり考えにくいんだけれど……」
「あぁ、単純に授業で習ったからだよ。岸時くんは英語のクラスが違うから知らないだろうけれど、うちの先生はちょっと変わっていてね。そういうマニア知識を生徒に吹き込む人なんだ」
「つまり、犯人の目星がついているっていうのは……」
「うん、そういうこと」
 英語のクラスが岸々塚と一緒で、なおかつ僕に関係の深い人物。
 ……なるほど。
 これは確かに、一人しか思い浮かばない。
「さ。出来たね」
 セロハンテープを剥がし終わり、ようやく僕たちは氷を取り出すことに成功した。黒い耐熱机にのおかげで光が反射して、氷がどのような形をしているのか見えやすい。
 あぶり出された文字は、「13」。
「これは……」
「うん。私の出席番号だね」
 ……脅しの手紙。
 ところで、ここで一つ、言っておかなければならないことがある。
 最近僕は恋人と別れたばかりだと先程触れたけれど、その原因は、というか、きっかけは。
 彼女よりも僕と仲がよさげな、岸々塚に対する嫉妬である。
「……さ。岸時くん、もうさすがに犯人は分かったかな?」
「……あぁ。分かったよ」
「じゃあ、ふたつ確認を取らせてね。ひとつ、彼女は確か、吹奏楽部に所属していたんだったよね?」
「……? そのはずだけど」
「次にふたつ。まだ演奏が聞こえるということは、つまり誰かしらは未だに音楽室に残っていて、しかもこの化学実験室というのは、ちょうど音楽室の窓から覗ける位置にあるよね?」
「あぁ、まぁ確かに……。だけど岸々塚、そんなことを聞いて、一体何に──」
 キスした。
 岸々塚みねこは。今回のことの仕掛け人が見ているという状況に確認を取った上で、それでも略奪のごとく、夜這いの如く、寝取るように謎を解くように、僕の唇に躊躇なくキスをした。
「今回の謎、まぁ本人にとってみれば謎と言えるようなものでもないのだろうけれど──初めから僕のために謎が用意されていたというのはかなり新鮮な体験で楽しかったよ。彼女に、元彼女にもし会うことがあれば、是非ともその旨を伝えてほしいね。こんな謎なら、私はまた、いくらでも食べられるよって──」
 僕の唇から唇を離し、それを指で抑えた上で、岸々塚は一方的にそうまくし立てた。
 一方的にまくし立てて、その上で。
「そいじゃあ明日から恋愛しよう」
 と、臆面もなく言い逃げて、そのまま化学実験室から出ていくのであった。

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