見出し画像

【考察】髭男「I LOVE…」の続きが描く、様々な愛のカタチ


 オリンピックイヤーの始まりと共に、Official髭男dismの2020年は鮮烈な幕開けを飾った。

 2020年1月1日0時過ぎ、”東京事変8年越しの復活”という衝撃的なニュースに興奮冷めやらぬ中、なかなか寝付けなかった僕はふとラジオを付けた。ラジオでは紅白を終えたばかりの髭男メンバーが電話出演していた。激動だった2019年を駆け抜けた彼らの声は、大きな達成感と少しの疲れが滲んでいた。三が日は休暇を取ったという彼らに、1年間ありがとう、どうかゆっくり休んでください、と心の中で呟いた。

 髭男は去り際に大きな爆弾を残していった。パーソナリティのハマ・オカモトが新曲「I LOVE…」をコールすると、年始の祝砲を鳴らすかのようにシンセサイザーのイントロが流れた。そこにドラムとブラスが溶け込み、更にピアノが曲に優しさを加える。そしてボーカル藤原聡のシャウト。僕はイヤフォンに釘付けになって、再び寝付けなくなってしまった。すべてを聴き終えたとき、髭男の新たなステージへの旅立ちの予感がした。


 その予感は今のところ当たっていると言えるのではないだろうか。「I LOVE…」は2月に配信開始するとビルボードチャートの常連を連ね、そして驚いた事にAppleMusicのデイリートップ100グローバルにチャートインをも記録した。髭男は「国民的バンド」という枠組みを既に超え、世界への歩みを一歩ずつ進めているのかもしれない

 ラジオで最初に「I LOVE…」を聴いてから2週間程経った頃に、ミュージックビデオが公開された。僕はこの曲の持つポテンシャルに再び驚かされた。そしてこのMVから、髭男が躍進を続ける理由が垣間見えた気がした。

藤原聡の描く、どこまでも美しい世界

 驚いたのは登場人物の多さである。バンドメンバーの他に、老夫婦、友達、妊婦、父と娘、男と犬、そしてカップル。一見すると、それぞれは何の関連性もないように思える。しかし、登場人物全てが共通して持っているのは目の前の相手に対する”愛”だ。老夫婦の妻は、絵を描く夫に飲み物を用意したりブランケットを掛けてあげたりする。MV終盤で、夫が書いていたのは妻の肖像画だという事が明かされ、夫が完成した絵を妻に渡すと妻は涙する。父と娘もそうだ。父は勉強している娘に朝食を用意し、一緒に遊び、時には映画の途中で寝入ってしまった娘に優しい眼差しを向ける。妊婦も、大きなお腹を大切そうに何度もさすり、終盤では生まれてきた子供に温かい笑顔を向け、そっと抱き上げる。どの登場人物も、無償の愛を相手に向けているのだ。見返りを求めず、ただ愛したいから愛す。そんな人物が多く登場している事が大きな特徴である。

 僕は最初、この曲を恋愛の曲だと思っていた。「I LOVE…」はドラマ「恋は続くよどこまでも」とのタイアップを果たし、このドラマがいわゆる恋愛物だったため、僕と同じようなイメージを持っている人も多くいるのではないだろうか。しかし、ソングライター藤原聡の描く世界はそうした恋愛感情に限定されるものではない。彼が描こうとしたのは、「愛する」という純粋な心の美しさであり尊さではないだろうか。それはどんな形だっていい。登場人物が10人いれば10人それぞれに愛すべき人がいて、それぞれの愛の形があるのだ。

「I LOVE…」が導く髭男論

 僕はこうした藤原聡の世界観に既視感があった。「Pretender」だ。

 「Pretender」はご存じの通り、2019年の邦楽シーンを席巻した、髭男の代表曲の一つである。「I LOVE…」と「Pretender」には共通点がある。それは、どちらも普遍的な世界観を持っている事である。

 「I LOVE…」のテーマが愛の美しさであるとすれば、「Pretender」のそれは、想いの距離感だ。

”もっと違う設定で もっと違う関係で 出会える世界線 選べたら良かった” 
"「好きだ」とか無責任に言えたらいいな そう願っても無駄だから   グッバイ"

 自分の想いはこんなにも真っ直ぐなのに、どうにもならない関係性。そんな状況にやるせなくなる気持ち。強がって何とか前に進もうとする気持ち。どういう形であれ、誰しもが一度は経験したことのある感情ではないだろうか。Pretenderでは、そんな複雑な関係と感情を綺麗に言語化し、歌詞に落とし込んでいる

 藤原氏はインタビューでこんな”Pretender論”を語っている。

 この曲を聴いて「切ない」と言ってくださるのなら、それがそのひとにとっての正解で。でもそうじゃない受け取り方もまた正解で。
~中略~
この曲がそのひとの人生にとってのお気に入りになってくれたら良いなと思いますね。

 ひとりひとりにそれぞれのストーリーがあって、ひとりひとりにこの曲の正解がある。だから、ひとりひとりを曲の主人公に出来る。髭男が広く受け入れられるアーティストに成りえたのは、そうした藤原聡のリリックライティング能力が背景にあったからではないだろうか。

( ↓引用した藤原氏のインタビュー記事 )

「I LOVE…」のその続き

  さて、ここまで「I LOVE…」、そして髭男の楽曲の持つ世界観の普遍性について考察した。本記事で藤原聡の類稀なる才能が少しでも伝わったのならこの上ない幸せだ。彼の才能で、今後も髭男はビッグになり続けるだろう。それでも、どんなに大きく手の届かないところに行ったとしても、僕はいつまでも髭男を応援し続けたい。

 昨今、日本はかつてない災禍に見舞われている。人々は皆、先々の不安を抱え必要以上に殺伐としているように感じる。でも、こんな時だからこそ、自分が持っている愛情をじっくりと見つめ直すのも良いのではないだろうか。鼠色の世の中だからこそ、誰かを愛する気持ちはより美しく映える。 「I LOVE…」の続きは、大事にしまっても、丁寧に紡いでもいい。どちらもとても美しいのだ。

(Tom)

最後までお付き合い頂き、嬉しい限りです。またどこかで。
※本文中の考察は全て私見であり、藤原聡氏およびOfficial髭男dismの解釈ではありません。


マガジン「Tomの楽曲考察」にて他の曲も考察しています!
ぜひフォローをお願いします ↓↓↓




この記事が参加している募集

スキしてみて

サポートいただけたら、いい音楽聴いていい本読んで、またいい文章書けるようにがんばります