子どもたちの進路に思う(追補)

前回の文章を書いたあと、本日、朝日新聞の教育虐待に関する記事に接しました。とても考えさせられる内容でした。

内容は、今から30年ほど前、母親に言われたとおりに激烈な中学受験勉強を自分のやりたいことも我慢して行い、母親の決めた志望校に合格するもその後も母親の干渉は続き、母親の決めた大学卒業後に就職するも、うつを発症して退社。
いま振り返ると当時は教育虐待を受けていたと感じ、両親は自分を愛していたが、自分は両親を愛している自信がなく、親が亡くなっても涙を流すほど悲しい感情を持つか自信がない、と感じているという内容の記事でした。

記事に書かれていた男性は約30年前に中学受験をしているとのことなので年齢は40歳過ぎ、ご両親は70歳前後でしょうか?

この男性の中学受験の時期は所謂私大バブルの時期。ご両親は所謂団塊世代でしょうか?高度成長期に学生時代を過ごし殺人ラッシュの電車に乗り、モーレツサラリーマンの上司から新卒入社後、今では考えられない様な罵詈雑言を浴びせられ、出世競争に身を投じたところオイルショックが起こった様な時代を経験されている年代の方なのでしょうか?大学進学率は3割余りの時代…。女性は結婚したら永久就職と言われ、寿退社なんて表現で結婚したら退職し、専業主婦としてモーレツサラリーマンの夫から「家のことは任せた」と言われ…。

勝手な推測ですが、お母様は私大バブルを目の当たりにして、子どもに中学受験を勧めたつもりが、自分が進めたということなのかもしれません。

悲しいですね。お母様の自分なりの子供に対する愛情に因るアクションが、子どもの希望とミスマッチを起こしてしまったのでしょうね。

同年代の家庭は程度の差こそあれ、同じ様な環境だったのでしょうが、その後については様々な要因で変わってしまったのでしょうね。例えばその方のお父様が所謂高学歴で自身の体験を成功体験として、妻経由でそれを子どもに強要していたのかもしれません。

今の時代の価値観から測れば虐待いうことになるのでしょう。しかし、正当化するつもりはありませんが、その様な家庭は顕在化していないだけで当時は沢山あったんだろうと思います。

何が虐待とされるかは時代背景により変わるのかもしれませんが、少なくとも本ケースの場合は結果的には親の価値観によって子どもの将来の選択肢を狭めてしまったのでしょうね。

親の愛情は無償で、亡くなった時に子供に悲しんで貰う為に愛情を注いだはずもありませんが、あまりに悲しいです。

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