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インドを旅して・・・今の私が見る視点で振り返る

インドを旅した話。
約10年前であり、写真などのデータがほとんど残っておらず、
うっすらとした記憶の部分も多いけれど、
これまでで、一番「冒険」といえるような約2週間だったのは間違えない。

結論から言うと、めちゃくちゃ刺激的でやればできるじゃんと調子にのった
私は帰国前々日にスマートフォンをまんまとすられ、
予定外のことに取り乱しまくり、一緒にいた友人にも相当迷惑をかけ帰国した・・・。

終わりよければ全て良しという言葉もあるが、終わりが悪すぎて、
私の小心者メンタルをさらけだしたこの過去は、恥ずかしい体験、
情けない体験として記憶に刷り込まれ、話すことを避けてきたと同時に
チャレンジには意味がない、結果として失敗したなら意味がない
と感じすっかり保守的になったきっかけでもある。

けれども、最近、人生を棚卸しして、捉え方を変える出来事が起きて、
恥ずかしい・情けないと感じた体験は自分の完璧主義から自分を責め、
自分の人間としての小ささももちろんあるが、インド旅行の話をしたら
何しに行ったのと笑われたことによる惨めさもあり、
できなかった・ダメだったと捉えてしまっていたのではないかと改めて気がついた。

当時、仕事に疲れ看護師を辞めた私は、「人生を変えたい」と思い、
やったことのないチャレンジ、なにか変わる気がするということで
インドに行くことを思い立つ。

・バックパッカー初挑戦 
 (びびりなので友人と二人)
・世界一周だと意気込みながらも、インドにいければどこでもいけると思い 
 手始めにインドを選択
・文化も治安もなにもかもが異世界な気がして強烈に惹かれた
 (その当時からヨガや自分を知る、瞑想のようなものには興味があったの  
  だと思う)
・英語はあまり話せない

そしてインドに行ってから経験はいくつかあるが、記憶が薄い…
今でも残っていることは

・インド2日目ですでにピンチで、日本人バックパッカーの大学生に
 拾ってもらう。
・友人がお腹を壊し、インドの医者と英語で話してなんとか対応
・デリーから、ガンジス川をみるためにバラナシへ向かう夜行列車では
 ゴミは窓からみんなぽいぽい捨てており何でもありなんだと感じる
・道は本当に牛がいる、犬もふらふらしていて狂犬病が怖い
 (ハラハラするけど、数日すると慣れてくる)
・スマホを取られ、警察に行きストールンと必死に伝えたが案の定なんにも  
 してもらえない  (慣れても調子にのらないことが大事)
・タージマハルはきれい
・ガンジス川で身体全体で浴びることはできず。 
 生と死・生活用水など混じりなんだか不思議な場所だった
 (看護師なので、清潔・不潔の観点が働き思い切れず・・・)
・ヨガも体験したような・・・

今でも、カメラに少しだけ残った写真をみてみてももはや、
どの場所へ行ったのか分からないものもあるけれど、

出会う現地人も、日本人も日本にいたら仲良くなることがないであろう
価値観や生き方をしていたし、
夜行列車でバラナシまで行く道のりは、
ガタンゴトンの音や砂が舞う感じに加え、
ガンジス川がどんな場所なのか、ドキドキ・・・
大学生に拾ってもらったけれども、それでも、なんとか旅を続けられている
そんな現実に胸が高鳴っていたことは今でも忘れられない。

今を創るのは、過去の私
チャレンジには意味がない、結果がだめだった、できなかった、
情けなかったとしてきたのは、私。
もちろん、治安やきれいな国がよいとか、自分の大事にしたいことにも
気がついたし、小心者は今も変わらないかもしれない。

でも、捉え方を変えたら、今なら言える。
良い面をみることで完璧主義を手放し、完了主義という視点でみるなら、
行動力や実行力があるし、むしろスマホをなくしデリー警察へ乗り込んだって、結構すごくない?と思ってみたり。
小心者な自分もいる、でも、チャレンジしたいという欲求を行動に起こせる自分がいることにも気づく。
そして、結果だけじゃない、あの約2週間の経験には価値があった
生きて返って帰国したこと自体に○だし、決して失敗ではないと思える
行ってよかった、そう思えるから。

だから、もし、過去の自分にダメ出しして、自分を小さく見せてしまう人がいたら、是非、他の見方ができないか見てほしい。

現時点では、私はきっと、バックパッカーはもうしない、
インドもきっと行かないけれど、
これからも、できるだけ後悔しない人生を送りたい、
チャレンジも出来る
失敗すらも失敗じゃないことだったって何年かたって認めてあげることだってできる
そんないろんな自分を許しながら、これからの未来を選択できる自分でありたいなと思う。


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