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カウンセラーひとみ 30代一児のママ。 カウンセラー・コーチとして、誰かに寄り添い何か…

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カウンセラーひとみ 30代一児のママ。 カウンセラー・コーチとして、誰かに寄り添い何かの気づきや変化を与えられることをしたいと思います! また、日常のささやかな発見や自分の思いもすこしずつ・・・

最近の記事

自分の「才能・強み」の見つけかた~診断編~

仕事をしていく中で、その仕事が自分に合うか合わないか やってみなければ分からない やれない、合わないと感じたことでも時間をかけてコツコツ努力をすれば 出来た、結果としてスキルの習得になり、合わないわけではないのだなと 気がつくこともあった。 こうして仕事をしてきたわけだが、 気がつけば、できない時は努力が足りないと鼓舞し、 合わないのは継続が足りないからだと自分に厳しくなり、 できたとしても、出来た喜びや達成感、満足感を得るよりも 「なんだか疲れる」と感じることも増えた。

    • あなたが生まれてきたこと

      今日、38歳になる。 今日は、自分自身に「うまれてきてくれてありがとう。おめでとう。」 そんなことを伝えるそんな日にしたいと思う。 去年の今頃は、今の自分を想像できただろうか。 毎年、いろんなことがあり、 「のぼりざか、くだりざか、まさか」そんなことがやってくる そんな風に、いつなんどきも未来は何が起こるかわからない。 振り返ってみると、 若い頃は家庭環境の影響やいじめに合い、「死にたい」 なんのために生きているのだろうかと思うこともあった 学校では演劇で主役の座を勝ち

      • インドを旅して・・・今の私が見る視点で振り返る

        インドを旅した話。 約10年前であり、写真などのデータがほとんど残っておらず、 うっすらとした記憶の部分も多いけれど、 これまでで、一番「冒険」といえるような約2週間だったのは間違えない。 結論から言うと、めちゃくちゃ刺激的でやればできるじゃんと調子にのった 私は帰国前々日にスマートフォンをまんまとすられ、 予定外のことに取り乱しまくり、一緒にいた友人にも相当迷惑をかけ帰国した・・・。 終わりよければ全て良しという言葉もあるが、終わりが悪すぎて、 私の小心者メンタルをさら

        • 良い子を少し卒業する

          ごめんなさい。 ふと気がつくと、よく謝っていた。 たいしたことなくても あ、私のせいかもと頭の中の独り言が つぶやいて、咄嗟にでることもあった。 人間関係でゴタゴタあると、 その場の空気が悪くなると収めたくて 「私が余計な一言いったかな、ごめんね」 自分が謝ることで、 誰かの気持ちが楽になって その場がおさまるなら 誰かの機嫌がなおるなら 不穏な空気を打ち破れるなら 大したことない ちょっと我慢すればいい。 私の言い方が悪かったかもしれないから。 そう思って、行動して収まっ

        自分の「才能・強み」の見つけかた~診断編~

          小さな小さな種まき・・・

          小さい頃は、ケーキ屋さんになる、あややが出現すればアイドルになる! そんな風に純粋に思っていて、 でも、学校生活での友だちとの関わりの中での優劣や、 自分の得意・不得意に気がつくうちに、 そして出しゃばり、ちょっと目立って恥ずかしい思いをしたり、 傷ついた日には、 「これは違うな・・・」と自分の可能性や方向性を変えてきた。 でも、それを繰り返すうちに、私は運良く、自分の入院経験を通して、 看護師になるという夢や目標を見つけて、叶えることができた。 あれから十年以上・・・

          小さな小さな種まき・・・

          人生とマラソン

          人生100年時代。 この言葉をよく聞くようになった。 私は、それから考えると、30代後半、まだ半分にもいっていない。 そして、走ることも好きではないが、 人生はマラソンのようなものだなと、つくづく感じる。 ペース配分も大事、 駆け引き、我慢どころ、勝負どころもあり、 ここぞというときは、ペースを一気に上げる 時には、ペースを保つための給水も必要で、うまくとれたりとれなかったり 時には、コースを間違え、予想だにしない、怪我で止ることもある 疲れて、歩いてしまうことも。 そのレ

          人生とマラソン

          人生曲線とそのときの感情からの気づき

          今日は、人生の棚卸しとして、人生曲線とその時の感情を振り返る。 そこに、何が私を突き動かすのか、感情にヒントがあるのではないか と考えたからだ。 人生曲線を見て感じたことは、なかなか乱高下のある人生だったということだ。 人生曲線を描いて、シェアをしたことがある人は経験があるかもしれないが、人生曲線はとても個性がある。 プラスのなかでしか上下しない人、0ベースの所を大きな波もなく過ごしている人、人生の後半に向けて右肩上がりの人、あるいは今が一番マイナスにいる人・・・ 私は、

          人生曲線とそのときの感情からの気づき

          違和感からの気づきと4L理論との出会い

          「これからの人生このままでいいのだろうか」 ふと、そう思わざるを得ない出来事が立て続けに起きた。 これまでにも、要所要所のタイミングで、同じような問いが湧き、 選択や道を変えてきた。 でも、選択や道を変える時、その前には、落ち込む、不安を抱える、 なかなか自分もしんどいという経験をし、「変化・変容」には 相当のエネルギーを要すため、できればこのままでいたい。 変わるのは面倒くさいという思いもどこかにあった。 このターン来ないでとも・・・。 だけれども、「このままでいいのか」と

          違和感からの気づきと4L理論との出会い

          これからの「リーダー」とは何か。。。

          これは、今日、投げかけられた言葉です。 「あなたにとってのリーダーって何ですか?明確化・言語化できるといいですね」 ということで、自分にとってのリーダーとは何かを考えてみようと思う。 対自分に対して、リーダーでありたいのか。 (例:自分の人生の舵取り船長のイメージ) 対誰かに対してのリーダーでありたいのか。 (例:先頭にたち先陣を切るイメージ) 私はリーダーとは、先頭に立ち決断し、周りを巻き込みまとめて切り開いていける人が、従来リーダー素質があると思っていた。 少し、昭和

          これからの「リーダー」とは何か。。。

          安心して悩める社会を創る

          私は、考えすぎると小さい頃から言われてきた。 そこまで悩む必要がない。とも。 確かにそうかもしれない。 でも、気がつけば、 また、こんな小さなことで悩んでる。 また、何度も同じことで悩んでる。 同じ物事でも、周りはこんなに悩んでないのに、そんな自分が嫌だ。 自分が弱い気がして、ダメな気がして、 責めていた。 でも今は、悩むことは自分と向き合うこと。そこでしか見えない答えもある。 核家族になり、自分の本音で話す機会が限られ、社会は自立を求める。 自分で課題を洗い出し、主体的

          安心して悩める社会を創る

          「頑張らない」引き出しを創る生き方

          私にとって、「頑張る」はもはや、標準装備だ。 頑張れば、努力すれば、耐えれば、何かを手に入れることができたし、 それが、世の中の当たり前、普通、そんな風に思っていた。 できなければ、自分の努力が足りない、能力が足りないとさえ思っていた。 だから、出来るように頑張る、そうすればいつか認められる。 だから、「頑張る」の引き出しは常に開かれていた。 でも、ある日、積み重ねてきた疲労と、頑張るためのエンジンをふかすために何度もアクセルを踏み、ガス欠になり、「ぷつん」と糸が切れた。

          「頑張らない」引き出しを創る生き方

          みんな違って、みんないい。もちろん私も。

          みんな違って、みんないい。 これまで、何度かこの言葉をみてきた。 一人一人、個性も才能も考え方、生き方も全然違う。 一人一人が尊重され、どれも優劣がないと思っている。 他者に対しては、「みんな違って、みんないい」と寛容になれるのに、 いざ、「自分」に当てはめると、自分は、枠から外れていないか、恥ずかしくない生き方をしていないだろうか、自分は目立たず、調和を乱してはいないだろうか。 そうやって、みんな違ってみんないいはずなのに、「違う」ことを恐れて、 普通の枠に必死に収まろう

          みんな違って、みんないい。もちろん私も。

          アウトプット苦手を乗り越える!    ~私のビジョン~

          私の課題は、アウトプットだ。 勉強を含む、インプットは得意なのだが、アウトプットとなると、 何を出せば・・・と躊躇したり、こんなこと書いてもおもしろくないのでは、と周りの目を気にしている。 でも、アウトプットする訓練をしていかないと、自分の思いや考えがあるということを分かってもらえなかったり、自分自身も自分の気持ちに気がつかなくなってしまう。これは、いかん!ということに気がついた。 どうやら、日本人特有の? (私はハーフなのに。笑) 遠慮や怖さがありそう、加えて、間違えて

          アウトプット苦手を乗り越える!    ~私のビジョン~

          この道が正解かだなんて今は分からない。それでもやってみる。

          夢はあるかと聞かれると、子どもの頃のようには浮かばない。 やりたいことはあるかと聞かれても、これというものも思い浮かばない。 子どもの頃、浮かんだものが大人になると見えなくなる。 大人になると、社会の厳しさを知る、自分の描くロールモデルにもなかなか出会えず、自分の出来る範囲や可能性は、自分の見える世界の自分のできる限られた範囲に狭まってしまう。 夢ややりたいことなんてなくても、生きてはいけるし、なくてもよいものかもしれない。 でも、現実に希望がなければ、今を頑張ること、楽し

          この道が正解かだなんて今は分からない。それでもやってみる。

          「ちゃんと」の呪縛

          「ちゃんとして!」 こどもがご飯を食べずに、遊んでいて、そう声をかけている自分にハッとした! ・・・ちゃんとって、なんだろう。 自分で言っておきながら、自分でも何を子どもに伝えたかったのか、よく分からなかった。 ちゃんとの意味を調べると下記のようだ。 ・他人にみられても恥ずかしくないように ・完全できちんとしているさま ・確実で間違えのないさま 幼少期、私自身、親に「ちゃんとしなさい!」といわれて育ったのだろうか・・・思い返してもよく覚えていない。。。 でも、おぼろげな

          「ちゃんと」の呪縛

          自分への「レッテル」を剥がしてセルフイメージを整える

          私は、コツコツ物事を進めるのが得意だ。 影となり、縁の下の力持ちとして仕事をするのが好きだと思っていた。 うさぎとカメなら、カメタイプ。 「丁寧にやる」、質にこだわる仕事も、自分のポリシーだったりするけれど、その、コツコツや丁寧さは、目立たない。 「それでいい、それでいい、誰かの評価のためにやっているわけでない・・・」 自分がそれを客観的に見て認めてさえいれば・・・と思っていた。 一方、私と同じ仕事を任された同僚は、私のコツコツ仕事にはあまり自分から手を出さず、自分の好きな

          自分への「レッテル」を剥がしてセルフイメージを整える