『女子中学生化』する日本の言論

掲載論文の是非で揺れる新潮45が休刊に踏み切った。

一連の騒動の原因は部数低迷による認識の甘さにあると発表している。


過激な論調はなぜ人の心を動かすのだろう。

平成も終わるというのに、言論は衰退してしまったように見える。


奇しくも今日はその少し前に、貴乃花親方の引退届提出のニュースまで飛び込んできた。


日本相撲協会の問題は、明確な”敵”を形成するマスコミの報道に踊らされ、こじれにこじれた印象を受ける。

個人のつるし上げに終始すれば、問題の本質は見えなくなるばかりだ。


<大衆主義>というのは政治の世界で用いられる言葉だが、庶民の感情を利用する手法は文芸でもテレビでも、大いに用いられていることになる。


安易な感情だけで議論が交わされている現状は、沖縄の政治を取り巻く問題であると以前記した。


告示期間であるため詳らかな説明は避けるが、いま日本全体がこの症状に陥っている。



あえて柔らかく書くと、これらは女子中学生のコミュニティで見られる現象だ。


「あの子、援交してるらしよ」


「隣のクラスの○○、部活辞めさせられたらしいよ」


地に足のつかない噂話で敵と味方を二分し、集団の言論は熱気を帯びる。

仕舞いには人間関係がこじれてしまったりして、結局は行き詰るのがオチである。


日本というクラスの言論は、いま先鋭化の一途をたどり、まさしく行き詰っている。


学級会が開かれ、大人の手が差し伸べられて『これでは大人になれない』と、当事者の少女たちはおろか、それを傍から見ていた少年たちもあの日学んだはずだ。


そう、この問題に男女は関係ない。

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