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始めての体外受精で子宮外妊娠して卵管1本切った話② 手術してわかったこと

全身麻酔は点滴で30秒位で眠りに着けたらしい。
絶対寝ないようにしよう!と謎に抵抗してみたのだけど、ちゃんと時間通りに眠りに着いて、約3時間の手術が終わったようだった。

意識は朦朧としてたけど目覚めて真っ先に思ったのは、、、

ーよしっ、病棟に帰ったら夫に記憶喪失のフリをしてあなたどなたでしたっけ?って言おう!記憶喪失ドッキリをするんだ!

今日は朝からふらっと外来で大学病院に診察にきたら、いきなり手術や入院が決まったという非常事態。

親や家族を病院まで駆け付けさせるなど散々心配を掛けさせておいて、麻酔から覚めた途端、1番心配していた夫にいたずらをするアイデアが真っ先に沸いてきた。夫の反応が楽しみだなぁー!

そんなことを即座に思い付くなんて、きっと麻酔に掛かりながら楽しい夢でも見ていたのかな。
フワフワした気持ちの私を前に先生が一言。


「左の卵管で妊娠していたので切除しましたからね。あと右の卵管が幼少期の開腹手術の影響で沢山癒着しちゃっててね、一応癒着を剥がして通り道を整形しておきました。細かい説明は明日以降しますね。」


ーそうか、、、、やっぱり卵管切除せざるを得なかったんだ。残念。てゆか開腹手術の影響で癒着って、、、!


少しずつ頭が働いてきて、思い出した幼少期のこと。

私は6歳の時に虫垂炎(いわゆる盲腸)が悪化して腹膜炎になって開腹手術したことがある。

小学校1年生の1学期、6月の終わり頃。
朝からめちゃくちゃお腹が激痛になって苦しんでいたのに、お医者さんから腹痛と診断され数日間放置。
数日遅れて他の病院に行ったら急性虫垂炎と診断されすぐに手術が必要になった。
数日間放置した事で腹膜炎に悪化してしまい、退院後の回復にも結構時間がかかった。

1ヶ月間の入院期間の間に体重が25→20kgに落ちてガリガリになったし、その入院以来、沢山我慢しながら受けていた注射や採血がトラウマになって、大嫌いになった。
今回の入院はその腹膜炎以来だから実に約30年振りの入院ということになる。

ーあの時の手術の影響を、未だに引きずっていたのか。。。

不妊治療を始めてからずっと、夫の精子の運動率が悪い事からクリニックで男性不妊と診断されていたけれど、タイミング法を4-5回、人工授精を4回やって、あっさりと生理がきてしまうのを繰り返し、いい加減自分にも不妊の原因がありそうな気はしていた。

色々自分でも調べて、クリニックに卵管造影検査をできないかお願いして、卵管がきちんと通っているかの検査をしたが、特段問題がないと診断された。

でも、卵管周囲については、開腹手術をすることで卵管周囲癒着を起こす可能性があるというサイト記事を見ていて、開腹手術って私のことじゃん。ひょっとして、、、と思ったりはしていた。

でも開腹手術で卵管周囲癒着を起こすことは稀だよ、と産婦人科の先生をしている女友達に言われていたし、卵管周囲癒着かどうか調べるためには腹腔鏡手術をしないと判断できないとも書かれていて、何の不具合もないのに腹腔鏡手術をする気にはならなかったのだ。

子宮外妊娠を起こす可能性は稀。
開腹手術で卵管周囲癒着を起こす可能性は稀。
そう言われていたけど、自分の身にはどちらも起こってしまっていた。
統計上の確率なんて全然信用ならないものなんだなと思った。

手術室から病棟に戻ると、身震いがするくらい寒気がして身体がガタガタした。おまけに酸素ボンベやオキシパルスメーター、心電図、点滴、尿管、脚には血栓防止の為のマッサージ機が取り付けられていて全く身動きが取れない。

手術室は細菌の繁殖防止で低温のため、温度が低いのに加え、麻酔から覚めて体温が上がってきた温度差でいつにもなく寒気が止まらないみたいだ。
そんな中、ガタガタ震える私の腕で採血しようとする看護師さん。

ーうわーん、こんなガタガタ震えてる状態で採血なんてー!失敗しないでー!!!

私の寒がる腕を布団で温めながら、なんとか採血を終えると、看護師さんは今日はこのままお休みください、私に伝えて、病室から去っていった。

結局この日は折角駆けつけてくれていた夫にも母にも会えず。

ー記憶喪失ドッキリ、できなかったなぁ。。。


術後の回復の過程についてはまた次回。


トップ画には少し季節外れの朝顔の写真を選びました。

小学校1年生の1学期。入院していたお陰で、小学校1年生恒例の朝顔の育成ができなくて、先生が代わりに水やりをしてくれて、ちゃんと育った苗をただ持ち帰ってきた思い出。7月に退院したけれど、学校の友達との楽しい時期に出遅れちゃった感があったし、切なかったな。





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