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『森繁の重役読本』 向田邦子著、文春文庫

 向田邦子が亡くなって40年になるということで、本屋さんでも特別コーナーができているようです。私は向田さんのエッセイが大好きで、いくつもブログでこれまで紹介してきました。今日は、9年前に紹介した、向田さんのラジオデビューしたエッセイの原稿です。

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 昨日偶然見つけたんですが、この本は古い内容なのに新刊です。これまで本として日の目を見ていなかったものです。たまたまJR桜木町にある駅前の本屋をのぞいたら、新刊書の中に、「あれっ」と気になるものとしてあり、帯には若き日の森繁と向田邦子の写真、そして「奇跡の傑作」という文字が目に飛び込みました。

 この本は、昭和37年3月から、日曜をのぞく毎日、ラジオエッセイとして放送された原稿がもとになっています。向田邦子が5分のエッセイをかき、それを森繁久彌が朗読する番組でした。それは、昭和44年の12月まで続き、あしかけ7年、回数にして、2,448回続いたものです。向田邦子の本格的デビュー作なのですが、最近まではその原稿は所在がわからず、出版されることはなかったというレア本なのです。

 読んでみると、5分という朗読されたものですから、さっと読める分量です。毎回、問いかけがあり、重役さんが答えてくれる構成で、最後はかならず、どきっとしたり、なるほどと合点できる落ちがついています。その落ちが、人間の性をよくあらわしていて、時代が古いものですが、人の心情は同じなんだと感じます。ほくそ笑んだり、忍び笑ったり、時には、声をあげて笑ったりします。ほんとうに、向田邦子は、日常の中に潜む、人の心の襞をすくいとるのが妙なのです。

 その一部をご紹介したいのですがが、掌編だからその面白さにふれると、推理小説の犯人を話すような愚をおかしそうなので、本編にはふれないでおきます。その雰囲気は例えていえば、お休みの日に重役さんが縁側で話しているような、ゆったりとした空気がただようものです。そこで、今日は、本のあとがきらしきものとして、お二人がお互いに言葉に託しているところをお読みいただきます。

 まずは、向田さんからで、「花束」と題して中でこう語ります。

「『馬鹿。』私が書くこのひとことのセリフを、森繁さんは、その時々のシチュエーションにふさわしく、百通りにも二百通りにも、いろんな人間がいるんだなあ、と書いた人間をびっくりさせるほど、鮮やかに、空気の中に立ち上がらせてくれました。」(p207、あとがきにかえて、向田邦子)

 そして、森繁久彌はおそらく目を細めて、遠い空の向こうを見るように、あの文章の作り手のあざやかさを思い浮かべながらつぶやいているんでしょう。

「また、日常生活のなかで見過ごしてしまいそうな機微やディテールの捉え方が素晴らしい。鮮明に昔の日常茶飯を記憶していて、巧みな比喩、上質のユーモアを交えて再現してみせる、手品ですね。」(p215、向田邦子を語る、森繁久彌)

 ほんの一部ですが、お互いの尊敬や思いやりが、まるで一種の恋慕に近いような匂いを、私はかぎとってしまいます。向田邦子の文には、森繁は師であり、父であり、また恋人でもあったと、その大事な人を慕うあつい息遣いがあります。森繁久彌の文章からは、予期せぬ事故であの世へ旅立った向田への忘れえぬ想いが、叶わぬと知りながら、長寿であればと、いくつもの物語をつくりながら、ともに楽しい余生を送れたのにと哀しく語りかけるようです。

 ラジオエッセイを読んでみて、想像はするのですが、実際の森繁の語りで聞いてみたいです。そこで、さっそくインターネットで検索したのですが、「森繁の百人一首の語り」があったのですが、「重役読本」はなかったのです。残念ですが、さっそく本日から、森繁の百人一首を堪能しています。

 最後に、このラジオエッセイの放映回数には発奮を受けました。私の立ち読みエッセイの目標として、2,448回をめざしていきたいです。ざっくりと計算すると、それができたとすると、おおよそ私が還暦になるころですから、自分への還暦の贈り物にできそうな気がしています。ほぼ7年ですが、千里の道も一歩から、千里をこえるも一歩からと、まずは100歩をめざします。(2012年11月1日、「自宅の立ち読み」から)

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 このブログを読み返して、一つ反省するのは、還暦を超えたけれど、当初の目標の2,448回どころか、スローペースになり、543回が現状になっています。また、じっくりでも書き加えていこうと思いました。9年前の自分に励まされたようです。


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