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英語教育よりも多様性教育を

小学生からの英語教育って必要か? という議論をたまに耳にする。
今、小学3年生から英語のクラスがあるらしい。

小学3年生、4年生はスコアのつかない道徳みたいな位置付けのようだ。
ただ、5、6年生となると、スコアのつく、成績のつく科目として扱われるらしいね。

英語とかの語学を特に小学生の段階で成績のつく「勉強」にしちゃうの、なんか残念だなあ。
「勉強」にしないと本気にならないかもしれないけど、「勉強」にすると点を取りに行く「作業」になっちゃう

英語にテストで点を取りに行く。それはつまり、英語を「しゃべる」練習しなくていいということ。
語学勉強してんのに、「しゃべる」練習は不要。それ小学生の段階から始めちゃうんだ。。

せめて小学校では、点を取りに行く科目にしないで、世界中の人とコミュニケーションを取る楽しさを教える時間としてクラスを使ってあげて欲しい。
そんな中で楽しくスペルを勉強したり音を勉強したりが理想なんじゃないかと。

こういうところにどんどんどんどん外国人をご招待して、発音や文法を正しく教える目的のためではなく、日本人以外の人間とコミニケーションすることに慣れさせる目的で時間を使ったらいい。

日本は島国だからか、外国人雇用へチョー後ろ向き。
どちらかと言うと、ちょっと見下している。

アメリカ人が自分たちを世界のナンバーワンだと思っているのと同様、日本人はアジアの中で自分たちをナンバーワンだと思っている。

経済的に豊かなのは日本かもしれない。
ただそれが全ての価値基準ではない。

例えば、家族のあり方だったり、親子関係のあり方だったり、近所付き合いのあり方だったり、心づかいの方法だったり、国が違えばそれは全く異なる。
どの国が正しくてどの国が間違っているというものはない。

要は、世界には様々な考え方があるということを小さい頃から学ぶべきである。
そのためには異国人と交流する。異文化に触れる。異なる価値観に触れる。小さな頃から。

長い人生、日本国内だけで終わってしまってはもったいない。今の時代、
ちょっとお金貯めればいつでも海外に行けるし、海外に住むことができる。

かっこいい言葉で言うと、ダイバーシティーというのだろうか。
つまりは多様性について、子どもの頃からより理解を深める必要があるのではないか。

そのためにはまず日本人とは異なる人種や文化に興味を持ってもらうこと。そしてそこからつなげて日本語以外の言葉を学びたいという意欲を刺激してあげることが大切だ。

何のために英語を学ぶ必要があるのか。
そこをまず伝えてあげるのが、小学校の役目
なんじゃないか。

そんなことできる先生がいない?
呼んでくれればいつでも伺います!!!私。

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