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天に還るとは、ただ身体を脱ぐだけのことだとしたら?

仲良しの友人が、天に還りました、、、

辛いの終わったね。

身体を脱いだのだね。

良かったね。   


でも寂しい、寂しい、悲しい〜〜😭

ほんの数日前、会いに行って、会えなかった事が、。身体を持った彼女に会えなかった事が、かなり悔しか、心残りだ。


死とは、私たちが持って生まれた身体を脱いでエネルギーに帰ること。

五感の外の世界に移行すること。

  (は?って感じでしょう?でもそうなの、

    ただ身体を脱いでエネルギーに戻るだけのこと)


昔は、死が身近にあった。家で家族を看取ることがあったり、動物が死んだなら、お庭にお墓を作って埋めたり。

お魚を自宅で捌いたり、中にはお庭で鳥を捌いたりしていたかもしれない、

生と死が、いつも身近にあった。そしてそこから命の尊さを肌身を通して感じていた。


先祖を敬い、死を悼み生きているものを敬う。

全てに神が存在する、良い事にも悪いと言われている事にも、神が存在する。

八百万の神の国。


文明、医療が進み、死と言うものが忌み嫌うもの、生活の中にあってはいけないもの(?)となってしまった。(出産に於いても同じことが言える)


〜小学校2年生の時の弟との死別について〜

小学校2年生の時に、弟が白血病で天に還って行った。

最後の頃は殆どが病院で過ごした。

母は、当然ながらほぼ着き切り、親戚の叔母が来てくれて、面倒は見てくれたいたけれど。

やはり寂しかった。

そして、恐ろしい事に、重い病気なのは理解しながらも、寂しさのあまり、半分くらいは母を取られたと、感じていたようで、

早く良くなって欲しい心と、早く死んでくれないかなという思いが混在していた。


両親は、優しさからだと思うが、

病んでいる弟のことの状況を、わたしに話してはくれなかった。(小さいからね、当たり前かもしれない)

それがとても悲しかった。

というより、除け者にされたようで悔しかった。


彼が亡くなる時も、わたしは祖母の家へ

薄々、もう弟は逝ってまうのかもしれないと、感じ取っていた。


その頃、友人の家で読んだ漫画で、

主人公が、病気の祖父に対して

(神様、おじいちゃんを助けて下さい)

とお祈りして、願いが聞き届けられたという話があった。


わたしはそれを真似して、良く分からないながらも、そして、まるで漫画の主人公になったような感じで、お祈りをした。


そして、わたしが家に帰った時は、葬儀も終わり何事もなかった日常がそこにあった。


ぽっかりと穴が空いた感じ、

時が繋がらない感じ


弟は、本当に存在したのだろうか、病院は母が通っていたのは、幻だったのだろうか。

弟の死んでしまった、もういないんだという事を認めるのに、時間がかかった。

そう、その頃の記憶が、そこからの記憶があちこちと抜けている。余程ショックだったのだろう。

だか、弟は恐らくそばにいた。ずっと側にいてくれていて、見守ってくれているのだなと思う。



〜身体を脱ぐということ

           いつも側にいるよって事〜


何でそんなふうに言うの?

それはね、実際に体感しているから。


気功や、宇宙的に見た物の捉え方などを教えてくれた、わたしの先生だった方が、血液の病で入院をしていて亡くなった時。

世界は明るく静かで、平安でとても幸せな空気に満ちていた。(何で良い日なのだろう)

その直後に、亡くなったことを聞いた。

大号泣、まさに大号泣とはこの事でした。その時声が聞こえた

((泣かんで良かよ、身体脱いだからもうどこへでも行けるけんね。))

そして、すぐ側にいるような感覚。後で聞いたら、数人の友人も、

その日から、先生の存在がとても近く感じると話していた。

何かの折に、ふっと笑顔が浮かんだり、

((また泣きよる、大丈夫じゃけん、笑っとき‼︎))

と心に響いたり。

感の鋭い友人からは、何かさあ。いつもおっきい人が、ニコニコして一緒にいるね。

と言われたりもする。

その度に、忘れてましたごめんなさい🙇‍♀️

そうやって、身体を脱いだとしても、見守っていてくれる。



これは、わたしだけではなくて、誰でもこのような経験はしていると思う。

ただ気が付かないだけ、だったりもする。

身体を脱いでしまうと、、エネルギーとしての、存在になるので、何処へでも行けるの😊

ほんとだよ💕😊💕



こんな経験ないですか?

・あれ?○○が好きだった香りがする

・このお花好きだだよね〜

・そういえばさ、○○さん、こんなこと言っていたよなぁ

・うわぁ、後ろ姿そっくり〜

これってね、側にいますよってサインなの😊

あなたが寂しいって思った時、フッとした時、いろんな方法で、アプローチしてきます。

たまに、話しかけられたような気がしたり。声が聞こえる気がしたり、何となくメッセージみたいなのが思い浮かんだり。


こんな時は側にいます。

だから、もし大切な誰かにあいたかったら、

目を閉じて、そーっと心の耳すまして、その人のことを思ってみて下さい。優しく答えてくれることでしょう。

そして、いつも見守ってくださり、ありがとうございます。

と感謝を伝えると良いです。



今日は、7月1日

今年の後半の始まりの日、

大切な人や懐かしいペットに思いを馳せてみるのも良いかもしれないですね。


読んで頂き、ありがとうございました。


























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