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「犬と一緒に過ごせるカフェ」を求めて心が削れた体験記①

「犬と一緒に過ごせるカフェ」に小夏ちゃんと初めてふたりで電車を乗り継いで出かけた体験を、これからここにドキュメントとして、つづっていきたいと思います(全部で何回になるのか未定ですが、たぶん2回か3回くらいかな?)。

小夏ちゃんと出会ってから、きのうはいちばん、心が削れたんじゃないかな。

生きてると大変なことはあるけど、「大変」とはちょっとちがう、その「削れた」という、もやもやしたものを、すでにだいぶ自分のなかでは断片的に言語化できてきているように思うのだけれど、それを文章としてアウトプットしたいなあと思って、やってみる試みです。

だいすきなカフェめぐりを小夏ちゃんとしたかった

わたしは、もう長いあいだ、カフェめぐりが大好きで、仕事柄だったりでいろんな地域にも住んだり、プライベートでも旅もよくしていたから、もうそこらじゅうのカフェはあれば立ち寄ったり、めぐったりしていた。

だから、小夏ちゃんとも、一緒にカフェで過ごしたいなと、自然に思ってもいた。

それで、すきあらば、小夏ちゃんとも楽しめる新たなカフェの開拓も、始めようとしていたのであった。

インスタ映えするおしゃれな「ドックフレンドリー」なカフェへいざ出発

きのう、小夏ちゃんと向かった先は、電車を1回乗り継いでいく、東京の西のほうにあるカフェだった。

そこは、「ドッグフレンドリー」(人だけでなくて、犬にもやさしいという意味に言い換えられるのだろうか)なカフェとして、犬関係のメディアでもよくとりあげられて、評判もよくて、ビンテージ家具などもそろっている、とてもおしゃれな映え空間で(わたしはインスタグラマーでもインフルエンサーでもなんでもないのだけど)、前から気になっていて行ってみたいお店のひとつだった。

だけど、東京の西のほうは、いま住んでいる場所からだと、電車だけで1時間以上かかって、なかなか遠いエリアだ(住んでたこともあるから、土地勘はある)。

だけど、気になるお店だし、平日だし、きょうは天気もいいし、思いつきでエイヤと思って行ってみることにした。

自分にとってカフェって、そんな何日も前から計画していくものではないし、ふらっと行きたいと思った、そんなふうに思い立った日が吉日だとも思っていたから。

両手が塞がる状態で、あらゆる初めてに対応するということ

とはいえ、小夏ちゃんもいるから、事前にお店に電話をかけて確認して、来店予定時間も伝えて、いざ出発。

電車では、犬は「手荷物」扱いだから、電車に持ち込める用のケージ機能のついたキャリーを片手に持って、歩いて15分くらいかかる最寄駅まで、小夏ちゃんと散歩をしながら、まず向かった。

背中には小夏ちゃん用品もろもろと自分の必要なものを入れたリュック、左手にはキャリー、右手には小夏ちゃんがぐいぐい引っ張ってくるリードを持つ。後ろからくる自転車やバイクや車にも注意を払いながら歩く。

スムーズに電車に乗るために、すでにマナーパンツを履いてもらっていたのだけど、朝の散歩のときにうんちとおしっこをすませていたものの、やはり歩いたらしてしまったのだった。まあ、想定内だったのだけど。

というのも、準備不足といわれればそれまでなのだけど(なんせ、思いつきで出かけてるので)、マナーパンツの予備が、あと1個となってしまっていたのだ(あと1個はカフェの店内用)。

ついでにいえば、出間際にばたばたして、おやつを持参するのも忘れてしまったことにも気づいたので、通りがかりのドラッグストアに寄ることにした。

うんちとおしっこで汚れたマナーパンツを脱がし、脱臭袋に入れ、まだまだ歩きたがっている小夏ちゃんを、無理やりキャリーへ入ってもらったうえで、小夏ちゃんが外からあまり見えないように、キャリーの網になっている部分の一部にカーテンをかけて、ドラッグストアに入店。

なにげにこの日はじめて使う新しいキャリーだから、操作はひとつひとつ初めてなものばかりで、ひとつひとつの動作は難しくはないのだけど、両手が塞がりながら、小夏ちゃんの安全だったり、体調だったりに常に気を配りながら、あらゆる初めてのことが積み重なると、ストレスになっていくのだと感じたのだった。

イライラしてしまい、「余裕がない状態」に気づく

このドラッグストアは、人間用の品揃えは充実しているから、きっとペット用品もあると思ったけど、まずコーナーが小さすぎて、重いカートをコロコロしながら探すのも苦労した。

そして、あると思ったはずのマナーパンツが置いていない。小夏ちゃんはSサイズだけど、あってもSSサイズの大量パックしかない。リュックにもおさまりそうにない。

それでも、もしかしたらあったりするんじゃないかと、上のほうにある在庫などを探したりとかして、ずいぶんと時間をロスしてしまった。

時間的にやばいと思い、ちゅーるだけ急いで買って、店を出ることにする。

だけど、レジの女性が、こんなにも急いでいるそぶりを出しているのに、次に使えるお得なクーポンの説明を長々と始めたり、ポイントカードの勧誘などまでしてきて、普段だったら笑顔で聞き流せるのに、ひどくイライラしてチラシを受け取って急いで去った。

そのとき思った。<わたしはいま、とても余裕がない状態なんだな>と。

お店の電話対応に心が完全に折れ、「もうやめたい」とすべてを投げ出したくなる

予約の2時間前に出発したから、時間配分的には余裕でしょ、と思っていた。

だけど、自分だけなら、15分くらいで着ける駅までの道のりだけで、すでにもう45分は経過してしまっている。

カフェには、来店時間を30分遅らせてもらう旨を、何度もお詫びをしながら電話で伝えた。

当日予約なのに、直前でのそういう連絡をすることは、できればしたくなかった。無理ならキャンセル料を支払う予定でいた。

だけど、店員さんからは、「あー、べつにー、ランチなんでー、っていうかー予約なくてもたぶん入れるんでー、いつでもいいんでー、はいー」と言われてあっさり切れてしまい、拍子抜けしてしまう。

電話を切るときくらい、「お気をつけてお越しください」のひとことくらい、社交辞令でも言えないのかと思って、いつもだったら、まあ、そんな人もいるよねくらいですむ話なのに、これから30分遅らせてもらって巻いたって、間に合うかどうかで心に余裕がない状態だと、そんなことすらもすごく敏感に反応してしまう。

自分ひとりだったら、近くたってぜったいにこんな店は選ばないし、こんな両手が塞がって不便な思いまでしながら、遠路はるばる向かう意味ってなんなん?って思ってしまった。

もう行くのをやめたい、と思った。いまならまだ間に合う、引き返せる、と。

何度も葛藤したけれど、くじけずに行ってみようと決意

それに、そういうすでに行く前からの段階で、自分ひとりだったらぜったいに行かないというレベルの対応を、別の犬OKカフェで経験したばかりだったのだ。

とはいえ、先入観だけで決めつけるのもなと思って行ってみたけど、早く退散してしまいたいなという、もう二度とはいかないと思ったお店だった。

選んでしまった自分にもがっかりで、まだかさぶたにもなっていなくて、傷がじゅくじゅくしていたのだった。

だから、もう行かなくてもいいじゃん、わかってるじゃん、という気持ちが強かった。

けれど、前回はたまたまそうだったけど、今回はまだわからないじゃん、それより、小夏ちゃんと一緒に過ごせる居心地のいいカフェを見つけたいんじゃないの?という好奇心のある自分や欲望のほうが、その葛藤に勝ってしまったので、向かうことにした。

世間の目に恐怖 「好奇の目で、じろじろ見てこないで」 心の叫び ストレスマックス 

これから電車だから、貴重なラス1の店内用のマナーパンツを、駅の前のちょっと離れた道路の脇で、小夏ちゃんにはつけてもらうことにした。

いまここでつけないと、もっと人が多くなるアウェイな場所で着けるのはリスクが大きいと判断した。

ほんとうはトイレの個室とかでそういうことができればよかったけど、ほんとうに、かつかつなくらい時間もない。

急いで履かせようとすると、小夏ちゃんはうなぎのようになって暴れる。リードも手からすべってしまいそうだ。こちらが焦っているのも感じ取ってしまっている。当たり前だけど、でも、いま履かせるしかない。

通りががかる人たちが、キャリーを横に置いて、リードを持った犬におむつを履かせている光景を、ものめずらしげちらちらと見てくる。

小夏ちゃんにマナーパンツを履かせることと格闘しながらも、「そんな好奇の目をもって、じろじろ見てこないで」と、心で叫びたくなる。ストレスマックス状態。

同時に、わたしはいま、必要以上に、「世間の目」という見えないものにたいして、センシティブになっていることも自覚した。

別に誰か何か、自分たちに直接危害を与えているわけではないのに、感じている「世間の目」ってなんなんだろうな、と思った。

なにこれ、こわい、「世間の目」。

たぶん、側から見ればわたしは、とてもピリピリしていて、余裕がない人に映っているんだろうなあとも思った。こういう赤ちゃんをかかえた鬼のような形相になってるお母さんとかいるけど、まさにいま、鬼の顔みたいなんだろうなあ。

見えないなにかとたたかう鬼。見えないのに、なぜか自分だけ隔絶されたように思える、孤独。鬼は孤独だから鬼になるのではないかと思ったりした。

とはいえ、わたしは、いったいなにと戦っているのか、そこまでして、行かなきゃいけないところや、やらなければいけないものがあるのか、わからなくなって、泣きたくなる。

犬を連れてカフェに行きたいなんて自分のエゴでしかないのか、そんなところになんて連れて行かずに、ただただ黙って近所を朝夕散歩して、そのために日々在宅してなきゃいけないのか、車も所有できる経済的な余裕がなければ犬を迎え入れてはいけなかったのか、犬を連れて出かけること自体、土台無理なはなしなのに、それを強行しようとするからばちがあったのか…自分を責める気持ちが渦巻いて、うわーっとなる。

5キロ超の「手荷物」、投げ出したくても投げ出すことはできない

キャリーはコロコロがついているけど、けっきょく、コロコロすると小夏ちゃんへの振動も心配だし、人混みではなおさら邪魔だし、歩くペースがゆっくりになってもしまうので、けっきょく5キロ超の小夏ちゃんを、キャリーの手持ち部分をバッグのように持って、終始急ぎ足で移動することになった。

これだったら、普段使っている宇宙船リュックで十分だったなと思いながら、ただ、えっさほいさするのみの、とても頑丈なつくりで機能としてもよいお品なのだけど、丈夫な分、重い荷物と思えてしまったのだった。

だけど、ここには小夏ちゃんがいるのだ。重いからといって投げ出したくても、投げ出すことは、当たり前だけどできない。

15分で行ける道のりが1時間かかった

階段も、えっさほいさしながら上がり、やっと駅のホームまで着いた。

普段15分でたどりつける道のりが、ここで1時間もかかってしまっていた。

それだけで、<もうここが目的地なんじゃないか>と、冗談抜きで本気で思った。

これから、超めんどくさい大手町での丸の内線のりかえでも歩いて、1時間も電車に乗るんだよなと思ったら、これからの道中が、さらに想像できないくらいえぐい気持ちになった。

一方、小夏ちゃんはといえば、キャリーの中から見える、移り変わっていく景色に、興味津々なようす。

やっとついた最寄駅のホーム

電車が来るまでの数分間、わたしは駅のホームのベンチでぐったりしていた。


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