言葉の重みは、量り合うことができないから

先日、こんな投稿をした。「あっぱれ」な彼のことについて。

あれから、彼について、かなり拍子抜けをしてしまうことがあって、そこまで深く考えてしまった自分が、ばかだと思ってしまった。

そのもやもやを、ここに言葉にして整理することができるのか、できないのかわからないけれど、これからちょっとやってみようと思う。

ざっくりしたところからいうと、”戦う”ということへの価値観についてだろうか。

というか、それはただ、「価値観のちがい」と片づけてしまえば、それでいい話なのかもしれないとも思う。それ以上、考えるのは、時間の無駄みたいな。

わかっているのに、もちろん、これは時間の無駄だから、くだらないからスルーしよう、ってあっさり思えるものも、わたしにはたくさんあるのだけど、”戦う”ということの価値観について、彼にたいしての、根底での許せなさみたいのが、ふつふつと湧き上がってきて、それは簡単には見過ごしたくないというか、もう少し、執念深く、その見過ごせなさ、許せなさみたいなものに、向き合ってみてもいいのではないかと思ったのだった。

”戦う”って、本来自分が得られるはずの権利なり、そういったものが、踏み躙られたとき、それを取り返すために、というか、取り返されている状況が当たり前なのであって、だけどその当たり前が得られない状況になって、やむなく戦わなければいけないものだと思うのだ。

「あっぱれ」な彼も、そういった意味で”戦う”のだとわたしは思っていたし、彼もそのつもりでいて、弁護士などに助言を求めたり、戦う準備を進めていた。

だけど、彼との話が、話せば話すほど、噛み合わなくなってきて、?となった。

?の理由を自分なりに考えながら、気づいたのは、彼は”戦う”と自分で言っておきながら、戦う気などなにもなかったことだ。

別に、戦うことだけがいいとか、戦わないやつが悪いとか、そういうことを言いたいのではない。考えた末に、「戦わない」という選択をすることも、またひとつの勇気ある答えだし、戦うことだけが正しい答えではない。だが、そんなところの話をしたいのではない。

じゃあ、なにを言いたいかといえば、”戦う”ということについて、あまりにも軽く見すぎている、ばかにしているということだった。

わたしは彼の、あまりにも簡単に”戦う”と言って、自分が戦っているかっこいい人とでもそう見せたいのかどうなのかまではわからないけれど、その”戦う”ということへのハードルの低さ、軽薄さに、腹が立ったんだと思う。

わたしはこれまで、なかったことにされた権利の獲得に向けて、戦ってきた人の、代弁者でもなにもないのだけど、なぜか、そうやって、戦っても得られずに亡くなっていった、あるいは、闇に葬られていった人たちの無念が、そんなものが当事者でないわたしにわかるはずはないけれど、わかるはずはないけれども、だけど、その魂のひとつひとつが亡霊のようになってわたしのもとに結集して(そんなことあるわけないのだけど)、そういう人たちにたいしても、彼のその軽々しいスタンスは、冒涜だし、失礼ではないかと思った。

少なくとも、彼はわたしと同じように、言葉を用いて、言葉を使うプロとして、仕事をしてきたことのある人間だ。だからなおさら、”戦う”という言葉ひとつの重みを、こんなふうに軽んじて、というか、重みすらなにもわかっていなかったことに失望を通り越して、唖然とした。

ましてや、戦ってきた人たちの、リスクや犠牲を払って、身を投じてきた人たちの生きざまを、メディアに、取材にこたえようとしてくれた人の気持ちとか、触れる機会は職業上だけでも多かったはずなのに、彼は、それらについて、なにを見てきたのだろうか。

そう考えると、悲しくなってきたのだった。

冒頭にリンクを貼り付けた、前回の投稿をしたあと、わたしはずっと、すごくいやな気分になっていた。

そんな人と、それでも持ちつ持たれつの関係があったからこその腐れ縁で、15年くらいの年月をかかわってきてしまった、それを選択した自分の、人の見る目のなさを、すごくわたしは自分自身に恨んだ。

持ちつ持たれつだからという関係に、わたしは甘えてしまって、だけど、心の底ではわたしは彼のことを、一度も尊敬したことがなくて、むしろいつもばかにしていた。

ばかにしているのに、持ちつ持たれつの関係であることに甘えて、なにもしようとしなかった、なぜかあえて思考停止にしようとしている自分に気づいた。

ばかにしているけれど、「あっぱれ」すぎて、すべてが恨めなくて、もうわたしにたいしてもやっていることは、とんでもなくひどいこともたくさんあるのだけれど、恨む気持ちを通り越して、そんな恨む恨まないみたいなフツーの価値観で真面目にかかわっているほうがばかをみると思って、こっちも一周まわったかんじで同じくらいにぶっとんでやって、それならそれで、わたしをさんざん性欲の吐け口として利用したり、それによって彼自身の家族までをも傷つけて、彼が食い尽くしたいように食い尽くしてきたのだから、こちらも食い尽くしてやろう、というかいっそ債権回収してやろうみたいな…自分も取り立て屋みたいなずいぶん、あさましい、みっともない気持ちに、彼とかかわるとなってしまうのだった。

彼とかかわったあとの後味は、そんなふうに、いつも悪いものだった。まずいものなど食べたくないのに決まっているのに、出されたものだからと、おなかいっぱい食べてしまうような。

だけど彼のちがうところは、彼がまだ、ほかのもろもろの人よりかは許せるとわたしが思えたのは、わたしをさんざん性欲をはじめあらゆる欲望の吐け口としてだったり、愛人としてだったり、吸い尽くすだけ吸い尽くして、飽きたらぽいっと捨てるような、ごまんといた人とはちがって、捨てることはなかったというところだ。

わたしはとても情が強い人間で、一度出会って情が芽生えてしまったら、自分からは関係を切り上げることができない。向こうも情があった。

だからとくに、離れる理由もなかった。

だけど、離れる理由がないというだけで、かかわってしまう(それは離れる理由がないからなのだけど)、そんな、関係性において、いつだって受動的でしかいられない自分が、それが自分なのだけど、社会的に生きていくうえでは、とてもきらいになってしまってたまらなかった。

それで毎回、これを限りにこんな関係はやめよう、と決意するのだけど、また屈託なく「あっぱれ」な彼が、なんらかのずうずうしいお願いなり連絡なりをしてくると、ああ、じゃあ、これこそ、こんどこそ最後にしよう、と受動的なわたしは、ずるずるといってしまうのだった。

そんななかでの、”戦う”ということへの価値観、もうちょっとここで書きながら深まってきて、”戦う”ということの言葉の重みについての認識の違いについて、気づくにいたったのだった。

別に、価値観なんて、ちがっても、ちがうね、とすむことのほうが多いけど、だけどどうやらわたしは、言葉の重みについて、自分が重みを置いていればいるものであるほど、それを軽んじる人が、とても許せないみたいだ。

わたしからしたら、彼も彼で、言ってみればそれは”戦い”といえるものだけれど、その”戦い”というのは、自分がうしろめたいことをして、それで自分が訴えられそうだから、訴えられて、処分されて、地位を失わないために、キャリアにケチがつかないように、それについて戦いたいということだった。

足元をすくわれるようなうしろめたいことを事実、すでにしているのにもかかわらず、「相手にだってこんな非がある」という落ち度を見つけることでもって、戦おうというわけだ。

正しいことをしていても、どこから見ても後ろめたいことをしていても、ある日突然、その権利が侵害されてしまったり、すれ違いざまに殴られたりして生命が脅かされてしまうことがある。

それで、自分ひとりでは太刀打ちできないような権力にたいして、立ち向かわなければ自分が守れない、やむにやまれず実行すること、それがわたしにとって、”戦う”ということだと思っていた。

だけど、それはわたしの正義であって、それがすべてではないんだなという、当たり前のことに気づいたのだった。

誰もが精一杯生きていて、わたしにとっての精一杯生きることの正義と、彼にとっての精一杯は、なにひとつ同じではなかった。こんなにも失望しておきながら、それでもわたしは彼に何を期待していたのだろうか。

わたしは、自分のその対人関係において受動的すぎる特性により、彼のようなずるい人についてもすべてまるごとスポンジのように受け入れて、たくさん分け隔てなくグローバルにかかわってきてしまうことで、たくさん、汚いものに染められていった。

素のわたしはいつも真っ白で、自分が自分でいられるとき、自分がいちばん自分らしく感じられ、リラックスしている状態というのは、真っ白な布みたいな感覚になっているときだ。

だけど、「社会」に出ると、大気やガゾリンだったり、そういったものにもろもろに、体が汚染されていくような気がする。

その逆はなくて、ただただ汚れていくだけの場所、それが「社会」。

その汚れがピークになったら、自分で漂白剤につけて、きれいに洗濯して干して、またきれいな真っ白な布になるまでの時間が必要だ。

そんなに汚れにいくために、どうして「社会」に出なければいけないんだろうと、いつも思うのだった。

でも、今回、よーくわかったのだった。彼が”戦う”という言葉にたいする重みへの軽さを知って、どうして、十数年前のあのとき、彼がいとも簡単に、自分が会社から問い詰められた罪について、わたしを売ったのかということが。

わたし自身は、そんなことが簡単にできるのが信じられなかったし、でもまあ、しいていうなら、「保身」で、「誰にでもあることでしょ?誰だって自分がいちばんかわいいものだし」と、大人のセリフを自分に言い聞かせることで、納得しようとした。

だけど、心の底では、そんな大人のセリフは、わたしをなにも納得させていなかったようだ。

こうやっていま、十数年来の恨みとして、ふつふつと、非常に弱火で低温ではあるけれど、ずっと鍋でことこと煮込まれ続けていたのだから。

「保身」とか「自分かわいさ」とか言ってしまえば、簡単で、すべてがうやむやになってしまう都合のいいパワーキーワードだけど、やっぱりそういうのに共通するのは、”戦う”もひとつだけど、ほかにもいろいろある言葉への重みが、軽んじられていたり、それに鈍感だったりすることからうまれる齟齬の結果なんじゃないかなと思う。

そういう人と戦っても、話し合っても、ほんとうに、悲しいことに、なにも通じない。

でもその通じないわけは、言葉への重みの問題だから、話し合いにおいて、言葉への重みまで、そんな見えないものの重さを量りあえることはないのだから、やはり、現実社会において、それがまともにテーマとして可視化して語られることは、ないだろう。

見えている人には見えているけど、見えない人には見えないたぐいのようなもの。

だったら、自分の大切にしているものの、”なんらかの”重みが、いずれも同じくらいの人とかかわるのが、憎しみや軽蔑を生まずに、うまくかかわっていけるんだろうなと思う。

見えないものの重みが、自分はとても大切だった、という話でした。


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