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 買っておきながら、なかなか読むタイミングがなかった『推し、燃ゆ』を開き、半分ほど読んだタイミングでこのnoteを書き始めている。正直なところ、現時点ではそこまで自分自身この本にはハマっておらず、途中から気が散って、自分にとっての推しとは何なのか、という話を急にまとめたくなり、離脱した。


1.


 以前まとめたこともあるが、私は基本的に、アイドルがもともと好きだったタイプではない……と、綴っていたのは過去のことで、今では時には自ら、街で見かけたアイドルの宣伝トラックから、サブスクに実際に飛び、聴くこともあるくらいなので、ケースバイケースというのが正しい。とはいえ、好きな曲は好きだし、そうではない曲はそうではない。ただそれだけのことである。推しが居るグループだからって、盲目的に全部好きとは言えない。
 メンバーの応援に関しても、生田絵梨花さんにせよ、久保史緒里さんにせよ、ある種「そつなくできる優等生」「すでにある程度ポジションを確立している」ような人ばかりを推してきた背景があり、いまいち、成長を楽しむ、グループ内で自分の推しが序列を上げていくことを楽しむみたいなことはやってこなかった。
 それなりに仕上がっている人を「いい」と思い、調べて、ハマるということの方が圧倒的に多かった(私が初めてCDを買ったのは『シンクロニシティ』と『ジコチューで行こう』の間くらい。久保史緒里さんはそこそこにすでに頭角を現していたと思う)。
 したがって、久保史緒里さんも、それなりに追いかけてきたつもりではあるが、「私がセンターに引き上げた」的な気持ちは微塵もない。ただただ外野から推して、元気をもらっていたというのが正しい。プリンシパルもいまだに見ていないし。
 久保史緒里さんは、今はアイドル的に好きというより、好きな女優であり、歌手であり、タレントである。完成品として出力されているものが好きな上で、人柄を追いかけている気がする。アイドルしている推しメンは大好きで、その上で全部好きなのが久保史緒里さんである。もはや成長のストーリーがどうとかいう話ではないんだというのは、今年の神宮公演を見て思ったことである。
 言うまでもないが、一番の推しは久保史緒里さんでゆるぎない。いつか卒業しても、もし芸能活動をされるならずっと追いかける予定である。

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 ちなみに、ミーグリも、私がちょっと会いたいから自分が会いたい分量を申し込むだけであって、完売させてやろうだとか、いわゆる「ファンとして頑張る」みたいなことをやった記憶はない。
 今になって感じるが、もはやグループ内で盤石、トップオブトップと言って差し支えのない久保史緒里さんだって、その中のファンがある程度「頑張って」今の立場に立っている。そういう話に急に実感がわいてきている。
 「同じCD大量に買って(笑)」と小ばかにしていた気持ちもかつてはあったが、今となっては、それも一種の、というか非常に重要な効果の高い応援の仕方で、それをやっている人には、やはり尊敬の念しかないというのが今の正直な気持ちである。
 本人の努力のみがすべてを切り開き、それは必ずどこがで報われ、何かに繋がるのは知っているし、それが最も大きなモノだと理解しているが、本業ともいえるグループの活動、こと選抜だのアンダーだのは、結局ミーグリの売り上げに左右されているということは、最近妙に実感している。
 外仕事できらっと光る姿を見たいだけなら、本人の努力や時の運だけでどうにかなることもある感じるが、本業のアイドル業でセンターにしたいなら、単純にCD買わないといけない。そして、本業のポジションはそういう、外仕事に恵まれるチャンスに意外と直結している。そういう仕組みにはモヤモヤしたとて、そのシステムでグループが回っている以上、そこを頑張ることが一番効果的であるということを、ようやく理解した。

2.


 私の普段の論調や、かつての発言を知っている人から見ると、やや、らしくない話をしているのには理由がある。そうした論調にぶれが生まれたわけではないと思っているが、端的にいうと清宮レイさんをセンターにしたいと思う日が増えたということである。別に何か明確なきっかけがあったわけではない。ふとそう思う日が増えた。
 清宮レイさんが面白い。30分という短さもあって、隙間時間についついAudeeで『乃木談』を聴きなおしていることが多いのだが、その時いつも思う。「久保史緒里さんの次点の推しは清宮レイさんだ」と言い始めてそれなりの年月が経っているが、ここにきてそう感じる日が増えている。

 初期の頃に印象的だった快活さだけではない、本当はめちゃくちゃ人を見ていて、絶妙な距離を保つところや、意外とシャイなところ等、実はものすごく繊細で聡明な人なのだということがわかってから、ますます素敵だと思うようになった。
 よく評される「明るさ」のようなものは、幾重にも積み重なった気づかいや、周りを見る力の上に成り立っているし、「気を遣っていると相手に気づかせない」ような本物の気遣いができる人である証拠なんだと理解している。

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 同時に、モヤモヤというか悔しさというかなんとも言えない気持ちを抱くようになった。これだけおもしろい人が、思っているより映っている時間が少ないし、思っているよりも外の人が知らない。私だって全部知っているわけではないけど、なんか話題に挙がりにくい。
 久保史緒里さんは休業を経ても、比較的早々にいわゆるメインストリームに戻ってきた印象があったし、そこからの活躍は目覚ましいものだったので、清宮レイさんに関しても、元気になってくれればまたすぐに戻ってきてくれるだろうと勝手に思っていた。別に、私ごときが頑張らなくたっていいと思っていた。
 しかし、今のところ、そう甘くはなかったというか、思っているより厳しいのだということを身を持って実感している。神宮公演四日間配信で観たけれど、あんまり長い時間見られたとは思わなかった。「推しが映ってなくて悔しい」みたいな気持ちを始めて自覚した。相方の松尾美佑さんがアンダーセンターになってなおさら。「週一でラジオがあるだけ、恵まれてるんじゃないか」と言われたら返す言葉はないわけだが。

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 じゃあ、今日からいきなりCDを買い始めるのか、と言われるとそうはできないし、そうするわけでもない。しかし、繰り返しになるが、そういうある種、金も時間も含めて「身を削るような応援」をしないと、開かれない道もあるのだということをようやく理解したのは大きい。
 ずっと長らく、フリーライドするような推し事をしてきたと思っている。勿論それも悪くないし、それだって立派な応援の形ではあると思う。誰もが誰も身を粉にして推す必要はない。
 しかし、こと「センターにする」「ポジションを上げる」という一点に関しては、ちょっと多くCD買って、ミーグリの完売出すということを「頑張」らないといけないのかもしれない。それができなくとも、そういう気持ちは持っていないといけないのかもしれない。
 自分でもこんなことを言っていることに驚きしかないが、今、ふと、強烈に、そんな気持ちになっているのである。最近の『乃木坂工事中』での彼女の重要度を実感すれば、なおさら。あの人はたぶん、もっと前に居るべきな人な気がする。これは確信に近い。

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 あんまりグッズを集めるタイプではないが、今回のアンダーライブの清宮レイ個別タオルは買った。受注からそれなりに時間が経っていたのに、売り切れていない状況が、助かったという気持ちもありつつも、悔しくもあった。
 一年ほど前に、体調不良で流れたミーグリ三枚も、アンダラ後一発目のミーグリに迷わずに振り替えた。良かったところを伝えるつもりしかない。自分でも不思議だが、なぜかそうしたい。

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 オタクになって足掛け6年強、ようやくオタクらしい熱を帯びている。今度こそ、ちょっと力になれたと胸が張れそうな気がしている。また、力にならないといけないなと、なんとなく思っている。すぐにできる話ではないけど。

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「知る人ぞ知る」にしたくない。それに尽きる。


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