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夏の思い出

毎年お盆には、山梨にある祖父母の家に泊まりに行くのが我が家の習慣だった。
祖父母は桃農家をしていた。
夏場には朝暗いうちから畑に行き、暗くなってから帰ってくる。
「桃の季節は、戦争よ」
祖母はよくそう言っていた。
実際に戦地に赴いたことがある祖父は、その言葉をどう聞いていただろうか。
口下手で多くを語ることがなかった祖父だが、生きるか死ぬかの戦場と同じくらいの大変さを、農家として感じていたのかもしれない。

休みを言い訳に朝遅く起床すると、当然もう祖父母は家にはいない。
母はもっとひどくて、昼ご飯まで寝ている。
がらんとした広い家にひとり居ても退屈なので、私は畑めぐりをはじめる。
祖父母は家の近くに点在する5つの畑のどこかにいる。
前の日に翌日の仕事場を聴いておくこともあったが、それをしなかったときは当たりをつけて畑をまわっていくのだ。

農道を歩いていると、近所の人は家や畑の敷地から、私のことを怪訝そうな目つきで見つめてくる。
彼らにとって普段見かけない私は、よそ者あるいは外敵のような存在なのかもしれない。
ただ、私はそんなときの対処法を知っている。
笑顔で、大きな声で挨拶するのだ。
一瞬、彼らは驚いた表情を浮かべる。
だが、すぐに嬉しそうに挨拶を返してくれたり、「どこの子?」と聴いてくれたりする。
田舎には田舎の作法が存在する。

祖父母のいる畑に行って、農作業を手伝うこともあったが、できることはそんなにない。
傷みやすい桃は、少し強く押すだけで、その部分がすぐに黒ずんでしまう。力加減のできない子どもには、収穫の手伝いなんてもってのほかだ。
だから、収穫した桃が入ったかごを畑の端に停めてある軽トラックまで運んだり、家から持ってきたジュースを飲みながら脚立に腰掛けて祖母と話したりすることしか、やることがない。
だけど、私はそうやって祖母と話す時間が楽しかった。
祖母は、私が学校でなにをしているかや、家での私と父母との会話について聴くことが多かった。
そのときも、祖母の視線は桃や木の枝をまっすぐ見つめている。私の方を向くことは滅多にない。
私も、祖母のことを見ているというより、深緑色に生い茂った桃の木の葉や真っ青な空を見つめて話していた。
はたから見たらなんとも味気ない感じだが、その適当さが私にはとても心地よかった。
祖母はいつでも、世間話の域を超えず、必要以上に私の事情を聴こうとはしてこなかった。

その当時、私は学校でいじめられていた。
現在ニュースで聞くような苛烈なものではなかったが、私にとって学校という場も先生も同級生も、すべては面倒な存在だった。
知り合いがおらず、ゆっくりとした穏やかな時間が流れる山梨の自然に身を置くことが、当時の私には前向きな現実逃避になっていた。
一見、よそ者には冷たく見える近所の人も、よそ者としての礼儀さえ損なわなければ、田舎のコミュニティに迎え入れてくれた。
その「他人ごと感」が、心地よかったのだ。
無口だった祖父はもちろん、当たり障りのない会話しかしなかった祖母と、どのくらい打ち解けられていたのかは分からない。
だが、夏の青春らしい感動がなかった田舎の夏は、文字通り生温かく、静かに私を受け入れてくれていた。

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