「見えるもの」と「見ようとしないと見えないもの」
前回の記事では「見えるもの」と「見えないもの」と書きましたが、その「見えないもの」を少し掘り下げたいと思います!
【見えないもの】を、【見ようとしてないので見えないもの(人間の目で見えるけど)】と【人の目に見えないもの】の2つに分けてみたいと思います。
ケース お母さんのお味噌汁
例えば・・・
学校から帰ってきて・・・
「ただいま〜!お腹すいた〜」
「ご飯できてるよ〜手を洗っておいで〜」
↑という何気ない会話の後出てきた夜ご飯には、具沢山の美味しそうなお味噌汁♪
ここで
【目に見えるもの】は、「お味噌汁」。
【見ようとしてないので見えないもの】は、食材選びから始まるお母さんが作ってくれた料理の調理工程(お湯を沸かして、お味噌を溶いて・・・)。
【人の目に見えないもの】は、お母さんの「いっぱい食べて「美味しい」と言ってくれるといいな♪」という想い。
人の目に見えないお母さんの想いが、今日の食材を選び、決定し、食べやすい+美味しいを達成できるための切り方や味付けを決定し、調理していく工程を決定していきます。(決定するための判断基準がお母さんの想いによるもの)
この決定の判断基準は、その日の状況によっても違うかもしれません。
その日、お母さんは残業で体調も悪かったら?
「いっぱい食べて「美味しい」と言ってほしい」と思っていないわけではないけど、「カラダきついな〜お父さんも残業か〜。とりあえずお腹すいているはずだから、食べさせなきゃ・・・!」
となるので、もしかしたらインスタンのお味噌汁が選ばれるかもしれません。
↑そして「Uberでもして」ではなく、それでもインスタントのお味噌汁で、残っていたネギと豆腐を入れてくれたとしたら・・・?
工程も見ず、想いも想像しない場合
「え〜今日はネギと豆腐だけなの〜(手抜きしたの)?」となりますし、
工程は見ずとも、お母さんが体を休めている姿から今日夜ご飯を作ってくれたことを想像し、いつも「美味しいご飯を作ってくれる」母とのギャップから違いを汲み取ると、
「体調悪そうなのに、ご飯作ってくれてありがとう!」
となります。
・出来上がった料理を食べるのは数十分、
・料理するのは数十分〜1時間
・乗せてる想い(日々の蓄積や関係性などからくる)
見えてないものとは
ここで目に見えない「調理工程」や「想い」は、時間という物差しだけで見ても、「食べる」という一瞬の行為に比べると遥かに比重が重いはずです。
1日の中で、ほとんどは目に見えるものの良し悪しや、自分にとってのメリットデメリット、損得勘定で判断していることが多いかもしれませんが、
その全てに「見えてないもの」が存在します。
毎日は忙しくて、その「見えてないもの」に着目するには時間が足りないこともあるかもしれませんが、せめて日常にあるもの、大切にしている家族や周りの人に関することは、「想い」までとは言わずとも「調理工程」くらいは想像してみると、いかにこの世は「優しい世界」かということに気づける気がします。(時間が許す限り「想い」まで想像したいですが)
「優しい世界」に気づくと、自然と「有難い(有ることが難しい)」と感じ、感謝が生まれると思います。
そして専門家によると、人は感謝している時、憎しみや嫉妬などのネガティブな感情と共存できないようです。
目に見えるものに気づかない結末
よく、「結論だけでいいから」、「数字を見ろ!」など見えるものだけで考えることが仕事で求められる場合、
要は出来上がったもの、ピラミッドでいう頂点のほんの少しだけで、全てを判断したり、分かった気になって、早く仕事を行うことが正義だという環境に身を置く場合、人の心がすり減るのは無理もありません。(それが本当にやりたい仕事なら良いかもしれませんが)
可能な限り心を通わせる毎日を送りたいですね(^^)♫
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?