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視座を変える

こんにちは、ともです。
最近よく考えるのは、
助けているようで実は助けられているんじゃないか?
育てているようで実は育てられているんじゃないか?
そんなことを思います。
私は子育て中なのですが、
自分が子供を育てているとずっと思っていたんですね。
でも実際は自分の方が子供に育てられているのかも…と思うのです。
これは、子育てに限らず、
世界はそうやってめぐっているかもしれない、
救っているようで救われてたりして、
結果的にはめぐりめぐって、
自分は生かされていたんですね。
自分で生きていると思っていました。
しんどいことが多かったので自分の世界に閉じこもっていたため、
この世界の仕組みを知らなかったのです。
そうは言っても、本当のところはわかりませんが、
だれもこの世界の仕組みを知ってる人などいないと思うので、
自分なりに想像しました。
世界はそういうものだと仮定すると、
今まで思い込んでいたものがひっくり返るようで、
頭が混乱してきますね。
意味が無いと思っていたことも裏を返すと意味があるのかも、とか、
逆もしかりだったり、
一周回って元に戻ったり。
孤独に支配されそうな時も、
無意味さに押しつぶされそうな時も、
実は、自分が感じているのと同じように、
だれかもそう感じているのかもしれないですし、
そう考えれば、裏を返すと、みんな一緒ということですよね。
みんな一緒なら孤独とは言わないかもしれない、
無意味も集まれば意味があるかもしれない、
それならまぁいいかと思えてきます。
何を言いたいのかわからなくなってきましたが、
とりあえず、自分の都合の良い方で考えておくと楽になるのかもと思いました。
メンタルヘルスで重要なことで、
視座を変えるというものがあります。
一方向の見方ではなく多方面から自分を見つめることですね。
要するに、自分の見方を変えるだけで、別の見え方になるんです。
外から見れば、特に何かが変化するわけではないのですが、
自分の中の意識の持ち方が変わるんですね。
もしかしたら視座を変えるってこういうことなのかなと思いました。

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