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日本ではなぜ、博士号に市場価値がないのか?

なぜ博士号取得者は歓迎されないのか?

企業の研究職に就く場合、修士号は標準的な水準として機能しているように思います。
しかし、「博士号まで必要か」というと、そうは考えていない企業が多いのではないでしょうか。
それは、「博士課程で学ぶ3年」と「就職してOJTで鍛える3年」を比較した場合、後者の方が企業研究者としての能力が上がるからです。

※逆に、「修士課程で学ぶ2年」は「就職してOJTで鍛える2年」より価値があると思われていることになります。学部で研究できる半年程度ではトレーニング期間としては不足しており、研修者としての基礎力や一般常識を修士課程で身に着けてほしいと言うことでしょう。

大学に残って研究する場合は、博士号はほぼ必須のアカデミックライセンスです。
企業(マーケット)が大して評価しないものを、大学研究では必須と考えている。ここに根本的なズレがあります。

しかし、米国に目を向けると博士号取得者の市場価値はとても高いです。
博士号(Ph.D)取得の難易度や修士号の位置づけの違いなど、様々な違いはありますが一番大きいのは大学(研究室)の社会的な役割の違いではないでしょうか。

博士課程で何をするのか?

語弊を恐れずに言うと、日本の大学はアカデミック至上主義です。
「著名な学会誌に論文を何本通せたか」が研究者としての評価を決めるため、教授から博士課程学生に至るまで「論文にできる研究」を大事にしています。
研究費の多くは科研費として国から支給され、その評価者は教授と同業者のアカデミック系の人たちです。したがって、「学会で評価されるテーマ」が好まれます。
また、教授に昇進すれば滅多なことでは解雇されません。

米国の大学でも論文が重要であることに変わりはないのですが、それよりも大事なことがあります。
それは、企業から研究を受託して、お金をもらってくることです。
米国の場合は外部から資金調達ができない研究室は、存続が難しいです。多くの「カネになる」研究テーマを抱えている研究室は、最先端の研究設備を用意し、たくさんの優秀なスタッフを雇って、どんどん拡大していきます。

その恩恵は、博士課程学生にも波及します。
まずお金です。授業料免除だけでなく、生活費も支給されるケースが珍しくありません。
日本でも奨学金や学振(DC1・DC2)を獲得すれば博士課程学生でも生活費が入ってきますが、その原資は財団や国家予算(税金)です。
米国の場合は、原資が企業から得られる研究資金です。この中に「研究スタッフの人件費」という名目があり、学生も研究メンバーの一員としてカウントされるので給与が出ます。

もうひとつは、市場性のある研究テーマを扱えることです。
割当てられるテーマは「企業がわざわざ研究室にお金を払ってでも研究してほしい」内容です。
また、指導教官は「企業がそのテーマを依頼したいと判断した」その道のプロです。
そんな環境で5年間(米国の大学では修士課程と博士課程は一貫で5年のケースが多い)鍛えられる経験は、「企業で5年間OJTするよりも価値がある」と見なされて当然です。

日米の大学研究の違い

まとめると、米国の大学は各教授が率いる研究室の集合体です。
教授は学者というよりもプロの研究コンサルタントで、彼らが率いる研究室は研究開発受託企業に近いです。
日本のように「学校」とか「アカデミック」のイメージとかなり違います。

日本の大学でも企業との共同研究を積極的に進めている研究室はたくさんあります。
私が所属していた研究室も、某大手自動車メーカーと共同研究を行っていました。教授は大手電機メーカーの研究職出身で、企業研究の勘所を熟知していました。
この研究を担当していた先輩は、博士号を取得してからそのまま共同研究先に就職しました。
(その会社への就職が叶わなかった同期はかなり羨ましがっていました。)

しかし、「研究費をいくらか負担してもらい、そのまま就職が決まった」ぐらいのメリットしかないのがほとんどの産学連携プロジェクトの実情です。
これが米国の大学であれば、先輩はそのまま大学に残って共同研究プロジェクトを発展させ、部下を雇い、いずれ独立した研究室を持って・・・という選択肢もあったと思います。

続編もご覧ください。

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