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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

映画『エルヴィス』と映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』を比較してみる。 

 バズ・ラーマンが監督した『華麗なるギャツビー』が個人的にはツボだったが、そうかこの映画もバズが監督してたなと気が付き観た映画『エルヴィス』。

 多くの黒人が暮らすメンフィスで幼少期を過ごしたエルヴィス・プレスリーは、その際に黒人文化に深く触れ、ゴスペルやリズムアンドブルース等の音楽に影響を受けた。黒人に対する非道な仕打ちが横行していた50年代、白人であるエルヴィスがその種の音楽にカントリー、ウエスタンをブレンドし歌った。人種を超えてヒットさせた革命的サウンド、それがロックン・ロールだった。
 演じたオースティン・バトラーはアイドル性がありエルヴィス本人よりもハンサムに僕には思えた。映画序盤、「Baby Let's Play House」を披露する際の性行為を思わせる腰を振るステージ・アクション、それに女性がどう反応して良いかわからない中で彼女達がどうにか狂喜の叫びをあげてしまう様に、強い嫉妬を僕はオースティンに覚えた。そしてあまりにもそっくりな歌声は、最近の技術はここまで行くのかと思っていたら、実はオースティン自身が歌っていたということを後で知り仰天した。実際、エルヴィス初期の楽曲では全てオースティンの声が使われているが、キャリア後期のシーンではバトラーとエルヴィスの声をミックスしたとバズが語っている。
 またロックン・ロールの祖の一人であり同性愛者のリトル・リチャードも映画で登場するが、とてもセクシーだから女性かな?と思ったら人気モデルのアルトン・メイソンで男性が演じていた。
 因みにリトル・リチャードは51年にデビューしているが「Tutti Frutti」でブレイクしたのは55年。一方エルヴィスのデビューが54年で、そのサン時代に「That's All Right」や「Baby Let's Play House」をリリースしており、ブレイクした「Heartbreak Hotel」は56年1月。二人はほぼ同じキャリアだと言える。ただエルヴィスと同様ロカビリーのブームの火付け役となったカール・パーキンス、実はエルヴィスよりずっと先の46年末に「Blue Moon Of Kentucky」のカントリーとブルースをミックスしたスピーディーなアレンジを演奏していた。
 
 エルヴィスの「Can't Help Falling In Love」のヒット以降、63年から68年はエルビスの不調な時期であったが、その最中の65年8月27日、LAのエルヴィス邸宅で一度だけ行われたビートルズとの会見、個人的には映画の中に入れて欲しかった。
 リトル・リチャード、カール・パーキンス、そしてエルヴィス、彼らが居なければビートルズは無かったと言えるし、低迷気味だったロックンロールにブリティッシュ・インヴェイジョンとして再燃させたのが何よりビートルズであったからだ。
 会見の際ジョン・レノンが「最近は映画でソフトなバラードばかり歌っているけど、ロックンロールはどうしたの」と質問したという。エルヴィスを鼓舞したい、僕にもその気持ちはわかる。しかし映画の流れ的にはカットすべきだったとは思えた。エルヴィス最後の演奏で、立ち上がれない位に衰弱しているにも関わらず、ピアノでバラードの「Unchained Melody」を歌い切って感動を呼び起こしていた。エルビスにはロックンロールだけでなく、ゴスペルやポップスでも素晴らしい曲があるという事実を提示できる。

 なぜエルヴィスは死んだのか。ギャンブルに狂ってしまい彼から金を巻き上げざるを得なくなる、トム・ハンクス演じる悪徳マネージャーのトム・パーカー大佐。確かにエルヴィスは彼に陥れられた。しかしそれだけが理由ではない。最愛の妻との離婚、スーパースターとなったことで失ったものもあった。なること以上にスーパースターであることこそが真のプレッシャーだった。映画でも描かれているが、最初は気晴らし程度と考えていたのかもしれない、75年頃主治医だったジョージ・ニコポウラスが処方した睡眠薬等をエルヴィスは誤用していた。ドラッグは等しく人を壊す。それは「処方ドラッグ」でも同じことだ。

 エルヴィスの死の理由に答えをしっかり提示してくれている映画。ここまで読んで頂いた僕のレビュー程度では、その真意にまで決して達してはいないので観ていない方は安心して是非観て欲しい。

 この後、続けて映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』(以降映画『ホイットニー』とする)もアマプラで観た。
 
 そもそもエルヴィスもホイットニーも結末は分かっている。42歳でエルヴィスが、48歳でホイットニーが亡くなった。ネタバレ、そのネタとは、なぜ死んだのかの真相、または虚構を入れたとしても感動を与え得るストーリー性となろう。
 
 エルヴィスが死ぬ直前のパフォーマンスが映画のように本当に感動的だったかどうか。実は77年の「Unchained Melody」のエルヴィスによる最後のパフォはYouTubeに上がっている。

https://www.youtube.com/watch?v=yis1oa6Cri4

 あんなに息を荒くしているのにいざ歌うとガラリと変わる。僕には十二分に感動案件である。しかしホイットニー・ヒューストンはどうだったのか。この映像でどうだったかが分かって頂けるのではないかな思う。

https://www.youtube.com/watch?v=GexQnh3eauQ
 
 モデルだった彼女のファースト・アルバム『そよ風の贈りもの』、そのセカンド・シングル「Saving All My Love For You」から7曲連続で全米シングルチャート1位となったが、それはビートルズの6曲連続を超える新記録であった。今も尚それは破られていない。
 鮮烈なデビューの印象がデフォルトとなってしまっているからだろうか、上記の映像、僕には彼女の劣化感を否めることは出来ない。歌声もそしてルックスも。
 プリンスのステージに彼女が上がっている際の映像も入っているが、歌わずしゃがれた声で観客を煽っただけのホイットニーに向かってプリンスが、「誰だと思う?Still goodまだイケてるよ、ホイットニー・ヒューストン!」と言っている。まだまだ大丈夫だからね、と労わってあげるしかないかのように僕には思えた。
 当時のホイットニーに対して大丈夫だとはとても言うことが出来なかった。しかしそれでも09年の7枚目のアルバム『I Look To You』はビルボード初登場第1位だったし、それに続くアルバムに対して期待を寄せてはいた。少しずつ回復していくはずだ、と。まさかそのプリンスのライブから一年も経たずにホテルでコカインを服用し心臓発作を起こし溺死してしまうなんて、思ってもいなかった。

 『ボヘミアン・ラプソディ』のアンソニー・マクカーテンが脚本だから期待してはいた。僕は一度観たいと思った映画に対して事前にその評価のチェックはしない。バイアスが入って自分の前向きな気持ちを削がれたくないから。
 ホイットニーを演じたのは『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』のジャナ役だったナオミ・アッキー。歌声はナオミ自身によるものとホイットニーの声の両方が使われているが、その比重がどれ位なのかは不明。エルヴィス役のオースティンのようにはアッキーは歌っていないのではないか。それでもエルヴィスと同じ位に歌のシーンは素晴らしかった。ナオミはホイットニーのようにスタイルは良くないけど、どこかテイマー・デイヴィスを思わせるし僕は好きなタイプだ。
 後にホイットニーのアシスタントを務める大親友のロビン・クロフォードとの同性愛。夫ボビー・ブラウンが浮気や裁判沙汰でホイットニーを苦しめ、ホイットニーの意思で結果離婚が成立する。そしてマネージャーの父親がどこの誰かさんと同様お金をガンガン使い込んでいたことが発覚、その後直ぐに病死。幸せな家族を求めていたホイットニーであったが、スーパースターの悲劇、そのセオリーが彼女の人生にもまた通底していた。それでも強く生きていくことを歌でファンに伝え、その感動を自らの糧にして前に進んでいこうとする。
 ボビー・ブラウンに教わったと思っていたドラッグ、実はそれよりも前に服用していたと映画のホイットニーがそう語っている。分かっているけど酒も煙草も彼女は止められない。確かにこれでは感動を呼び起こす歌が出なくなってしまうよ。事実「ザ・ボイス」と讃えられた彼女の声は戻ることはない、その説明も映画の中でされている。
 
 ホイットニーが亡くなったのは、彼女の才能を認め世に贈ったクライヴ・デイヴィス、彼が主催するグラミー賞前夜のパーティに参加するために滞在したホテルだった。実は恥ずかしながらその詳細は映画を観る前には知らなかったが、映画でもそのことが描かれてはいる。グラミー賞で素晴らしい歌を披露すると娘のクリスティーナ・ブラウンに約束する一方で、コカインの売人らしき人間とロビーで接触するシーンもある。いよいよその時が近づいているのことは確かに感じられた。
 しかしこの映画をどこかおかしくしている部分がある。最後にホイットニーが素晴らしいライブ・パフォーマンスをしていることだ。史実ではグラミー賞でホイットニーは歌っていない、当然だ、亡くなっているのだから。そしてその後、さらっとホイットニーが12年2月ドラッグに関するアクシデントで亡くなったことが伝えられる。こんな素晴らしい歌声のホイットニーが死ぬはずがない、という思いが残る。

 映画『ボヘミアン・ラプソディ』で、85年のライブ・エイドがクイーンのラスト・パフォーマンスであるかのように描かれていた。その後フレディー・マーキュリーがヴォーカルのクイーンはツアーを行っているのは知っていたけど、僕は寧ろその映画の演出にガツーンとやられて、ボロ泣きしてしまった。なぜか。フレディーはエイズで亡くならなければ素晴らしい歌声をこれからも披露し続けることが出来たからだ。それは映画『エルビス』の最後のパフォとも通ずる。

 映画『ホイットニー』の最後のパフォーマンス。ホイットニーの母シシー・ヒューストン、その隣に彼女とはあまりうまく行ってなかったはずのボビー・ブラウンが一緒に居てなぜか赤ちゃんを抱っこしている。愛想をつかして出て行ってしまった親友のロビン・クロフォードが戻ってきており、暖かくホイットニーのパフォーマンスを見守っている。
 実はこのパフォーマンスは94年2月7日の第21回アメリカン・ミュージック・アワードからのものだった。その時ホイットニーはジャネット・ジャクソンやマライア・キャリーを抑えて7つのノミネート中、6つの賞を勝ち取った。その時の彼女のアルバムは大ヒットしたケビン・コスナーと共演した映画『ボディーガード』そのサントラ。絶頂期だ。
 僕の理解力がなかったからなのかもしれない。ホイットニーが亡くなったのテロップの後、アメリカン・ミュージック・アワードでは最多部門を受賞、と流れてはいた。でも最後のパフォーマンスがそれと結びつかなかった。ホイットニーの回想だった、この演出をもっとわかりやすくしてくれていたら。
 ホテルに向かう場面で12年2月12日と情報を提示、最後のパフォーマンスの前にはコカインを服用するシーンを入れ、パフォーマンス後には、救急車に担ぎ込まれるホイットニーを映す。亡くなったのテロップも、グラミー賞でのパフォーマンスは行われなかった、等状況説明を入れても良い。
 ボビー・ブラウン、そしてシシー・ヒューストンは今も存命だ。そういった人達の手前、真実を描けなかった、そんな忖度もあったようにも僕には思えた。

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