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与えよさらば与えられん


『与えよさらば与えられん』

アドラー心理学を書いた本、幸せになる勇気の一文。「求めよさらば与えられん」をもじったこの言葉。

本書を読んでいるときはハッとさせられる。
「求めよ」というのは、受動的ではなく能動的な意味も含んでいると自分は解釈していたけれど、さらに「与えよ」という言葉を使われると、その印象はさらに能動的であり、さらに言えば「求める」という事すらをある意味否定しているに近い表現のようにも感じる。

言葉のままで、とにかくまずは自分から与えようという事を説いているのだと思うけれど、それがなかなか難しいなという事を今日は少し書き残しておきたいなと。(アドラー心理学が唱えることは革新的で的確だけど結構実践がしんどいことが多い。笑)


余裕が無くては・・・・

まず前提として余裕がないとこの「与える」がしんどい。
怒り、悲しみ、苦しみなどその人なりの悩みや抱えている問題等によって、心のキャパシティが満杯に近い時がある。(そこへの対処には触れないけれど)
そんな時はおおいにして「なんでこうしてくれないんだ」とか「あいつのせいで」とか他責にしたり他力本願になりやすい。
たとえそんな時に「あ、今の自分は余裕がないな。けどまずは与えないと。」と気付いたとしても、これがなかなか行動に移すことが難しい。


じゃあどうする?

難しい、無理だという事を書き残すだけでは意味がない。
今のところ自分が考える対処法は二つ。



①小さな小さな「与える」をやってみる
②1ページでもいいから本を読む


これだけ。
①の小さな小さな「与える」をやってみるは、わざと小さなを強調しているけれど、「与える」というと僕の場合は大それたことを考えてしまったりする。けれどまずはやらなきゃという事で小さなことからやってみる。それはもはや自己満足でもいいくらいだと思う。

例えば車で運転していて道を譲るとか、ちょっと大きな声であいさつしてみるとか、レジで店員さんにありがとうと言ってみるとか・・・
まずやとにかくやってみて、心の隙間をこじ開けて無理やりでもスペースを作ってみる作戦だ。


②は別に本じゃなくてもいいとは思うけれど、僕の場合は活字が心にスペースを作ってくれやすい。そして活字だとそこから筆者の考えを想像したりさらにそこから理解するために一定の間ができる。それが凝り固まった心をほぐしてくれるような感じがするから。

本以外にもYouTubeで感動する動画を見たり、ランニングとか瞑想とかもそれに近いモノがある気がする。


とりあえず今日は

なんでこんなことを書いたかと言えば、今日の自分が余裕がなかったから以外にない。特に家族に対しては余裕がなくなりやすい。きつく当たってしまったりする。そんな自分に余裕を与えたかったそれだけ。

とりあえず今日は、晩御飯の時にありがとうって言ってみようと思う。


明日も素晴らしい一日になりますように。

ともですっ、最後までご覧頂き本当にありがとうございます^^