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笛吹きの寓話と達人 『フリープレイ 人生と芸術におけるインプロヴィゼーション』

「自由な遊び〈フリープレイ〉」と創造性の源泉や創造的なブレイクスルーについて考えることは、「創造」を考えるために役に立つのではないだろうか。

スティーヴン・ナハマノヴィッチ著の『フリープレイ 人生と芸術におけるインプロヴィゼーション』では、冒頭に日本のある昔話を紹介している。

それは、こんな話だ。

中国で発明された新しい笛を持ち帰った、ある日本の音楽の達人がその音の美しさに惚れ込み、みんなに聞かせました。
ある町でコンサートをしたところ長老から「まるで神のようだ!」と大絶賛を受けた達人のもとに、その町から「才能のある若き笛吹き」が弟子入りすることになりました。
若い弟子は達人から「体系的な指導」を受けると、すぐに全て簡単に習得してしまいました。しかし、師匠である達人はいつも一言、「何か足りない」というだけでした。
若い弟子はできる限りの方法を試みたが「何か足りない」と言われ続け、とうとうその町から逃げ出して、自分の村に帰ってしまい、逃げ出した恥ずかしさから、村のハズレにひっそりと住んでいました。
ただ、音楽へのインスピレーションはないものの笛は捨ててしまったわけではなく、時折吹いたり子どもたちに教えたりもしていました。
ある朝、誰かが彼の家の戸を叩くと「今夜の音楽会に君がどうしても必要だ」と彼に伝えました。彼の不安を抑えながらなんとか音楽会に連れてくることができたのでした。
そして、音楽会。彼は得るものも失うものもありません。ただ過去に師匠から習って何度も演奏した曲を奏でました。
演奏が終わった後、長い沈黙が続きました。そして、長老の声が部屋の後ろから、小さく聞こえました。「まるで神のようだ!」

この寓話はどのようなことを意味しているのだろうか。

創造性とはどんなものなのだろうか?意図的に起こすことができるものなのだろうか?それとも、「舞い降りてきた」「ヘウレーカ!」というように、突然あらわれるものなのだろうか?体系的な練習の末に『独創』は私達をまちうけているのだろうか?

最後に市川力先生におすすめしてもらった、落語の話も併せて。こちらと上の寓話を対比して考えてみると何かが見えてきます。


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