十年ひと昔とは、よく言ったもので。

久しぶりに巻いたマフラーが、まったく似合わなくなっていた。

高校1年生の秋に買ってから3年間毎年使っていたもので、なんとなく巻かなくなってからも衣替えのたびに存在は認識していた。気まぐれに巻いてみた感想は、“こんなマフラーだったけ”。姿見に写ったのは疲れたオーラのトンチンカンなオンナだった。

毎年少しずつ歳を重ねている。肌のくすみ、徹夜明けのダルさ、終わらない筋肉痛。そんなことでその事実を認識しているつもりだった。だけどどこかで、あのころを“ついこのあいだ”と思っていたのだと突きつけられた。

高校を卒業してから10年。些細な(とは思えなかった)ことで、笑い、憤慨し、葛藤した私たちは今、働き、結婚し、子を産み育てている人までいる。それでもたまに集まれば、変わらずやっぱり楽しくて、嬉しい。

当時と違うことと言えば、帰路につくとき“ありがたいな”と思うこと。今でも当たり前に連絡が取れることに、楽しい時間を共有してくれることに。それは、この少しポップなマフラーが似合っていたころには気がつかなかった感情だ。その代わり、もう気がつけないことだってあるのだろう。

よく1人で電車を待ちながら、少しうつむいてマフラーに顔をうずめていた。その日の余韻と、なんともいえないくすぐったさに笑いそうになりながら。もうきっと、このマフラーに顔をうずめることはない。けれどもどうにも捨てる気にはなれず、そっと衣装ケースに戻し、去年も巻いたモノトーンのストールを取り出した。

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