「源氏物語 中」

分厚い中巻、買わなくとも地元図書館にあった。

レディ・パープル(紫式部)による、色に生きるドスケベ男の物語。角田光代さんのわかりやすい訳はありがたい。

上巻では、魅力的な女だと思えば、無節操に関係を持とうと動く光君のことが書かれたが、中巻ではまず、突然死んだ夕顔(37歳没)の娘(姫君)の事が長々と語られる。

美しく成長した姫君であるから、例によって光君はしつこくストーカーの如くアプローチをかけるが、彼女は決してなびかないところがまた痛快である。

上巻では腹が立つほどモテてたが、すでに40歳も近くなってきて、それでも“輝くばかりに”美しいイケメンである光君を、姫君は、ほとんど嫌悪してるに近い。

こんなに女の子に邪険にされる光君なんて初めてだ。それでも、上巻みたく強引な行動に出る事はない。冷たく邪険にされては涙を流し、なんとかならないものかと思い詰めては涙を流し、策を練っては不安に陥って涙を流し、姫君に歌を詠んでは涙を流し…と泣いてばかりいる。

コレは壮年を迎える光君の老い(さらに死)が現れていると思う。相変わらず、レディ・パープルは光君を褒めちぎって書いてはいるけど、想いを寄せる姫君にフラれて、しかも姫君は、他の野郎(髭黒)に奪われるのだから。

絶対的に美しいと思われたイケメン光君であったが、人間誰しも老いて衰えるのは当たり前である。そして、中巻中程から、悩み、失望、未練、憤り、復讐心、エゴ、優柔不断さ、負の感情が噴出して、周りがが崇めてた絶対的な美を持った光君の、極人間らしい徹底した“弱さ”が描かれている。

さすがはレディ・パープル。ここに来てようやく感情のあるリアルな人間として、光君をはじめ登場人物を豊かに描き出しているのである。という事は、下巻は、さらに複雑な人間関係とガッカリさせる光君の様が描かれているんぢゃ…。

中巻には、光君の文学論らしきものが…。
「誰それの身の上だとしてありのままに書く事はないが、良い事も悪い事も、この世に生きる人の、見ているだけでは満足できず、聞くだけでも済ませられない出来事の、後の世にも伝えたいアレコレを胸にしまっておけずに語りおいたのが物語の始まりだ。
良いように書こうとすれば良い事だけを選び出すことになるし、読者の求めに応じては、滅多にないような悪行を書き連ねもする。
その善も悪もそれぞれ誇張されてはいるが、世の中にないことではないよ。
異国の物語は書き方は異なっているが、同じ日本の物語でも今と昔なら違ってるし、内容に深い浅いの差はあれど、ただ単に作りものと言ってしまっては、物語の真実を無視したことになる。
仏の経文も、方便という事があって、悟りのない者はそこかしこに矛盾点を見つけては疑いを持つだろう。経典の中にそうした方便は多いけど、結局は同じ一つの主旨となる。
悟りと迷いと隔たりとは、さっきの、物語の善人と悪人と似たような違いという事だ。全て何事も意味があるという事だ」
長っ!


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。