【映画】「アマデウス」
「アマデウス(Amadeus)」(米、ミロス・フォアマン監督)。
1984年製作ってそんなに古かったのか。
これもアカデミー賞各賞他を受けた3時間を超える名作である。俺が観たのはディレクターズ・カット版だ。
18世紀のオーストリアの音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの35年の短い生涯だけど、イタリアの作曲家アントニオ・サリエリが晩年、精神病院で神父を前に罪を回想する形で進行する。
オーストリアの皇帝に仕える作曲家として尊敬されてたサリエリだけど、彼の前に天才作曲家モーツァルトが現れたことで、サリエリの人生は変わってしまう。
モーツァルトの音楽の才能は皇帝をも感心させ大衆からも称賛されるが、彼の天真爛漫だけど、自分の才能におごり礼儀知らずな態度、ヒヒヒィという高い声の笑い方をはじめとする下品さなどから、音楽家の間では嫌われて軽蔑されている。
そんな中、サリエリはモーツァルトが発表する前の楽譜を見て、「彼の才能は神の寵愛を受ける唯一最高のもの」であることを理解してしまう。そして、自分はモーツァルトの音楽の真価がわかる才能しかない“凡庸”な人間であることを思い知らされる。
サリエリはモーツァルトへの激しい嫉妬からモーツァルトにいろんなことを仕掛ける…といった話だ。
サリエリは、モーツァルトの宮廷の音楽教師の職を潰しときながら、彼の家に内密にメイドを派遣したり、資金を援助したり、モーツァルトへ大きな尊敬の念を抱くとともに、一方で徹底的にモーツァルトを追い込んでやろうとする激しい嫉妬の情に苦悩する。
このアンビバレントな感情が結局、神を呪うことになる。孤高の天才を前に、いかなる努力を持ってしてもかなわない凡才である自分を呪うしかないということで結局、神を呪うに至るのだ。
実際には、モーツァルトは毒殺されて、その犯人はサリエリという説があるらしいがそれをベースにしたものだ。
サリエリはモーツァルトに対して屈折した感情を持ちながら、彼の才能を深く理解してる。だからこそモーツァルトに最期の葬式の曲まで書かせて舞台を用意するのだ。病床のモーツァルトがサリエリの執筆で曲を作り上げるシーンは素晴らしい。
美(才能)に対するアンビバレンツな感情は、美し過ぎるからこそ燃やすという三島由紀夫の「金閣寺」の世界にも通じると思う。
モーツァルトの時代は、教養を持つことがブルジョワ貴族のたしなみだったんだね。いつも重いデカいカツラを被り、多重にドレスを纏って、コルセットで締め付け、窮屈なものだね。
モーツァルトが、臆することなく既成のものに疑問を呈して、違った新しいものを作る。それもちょっとした思い付きで。この天才の所業、よくわかるね。たいてい周りの人間は苦労するものだ。
やたらと胸を強調したドレスを着て、モーツァルトの成功のためならポロリと出してサリエリと寝ようとしたエロくておよそ音楽とは遠いところにいるコンスタンツェだからこそ、長く妻の座にいられたのかも。
クラシックやオペラなど古典音楽の価値(眠くなるだけ)がイマイチわからん俺でも楽しんで観れた。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。