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不正選挙防止と開票立会人

 平成25年(西暦2013年、皇暦2673年)の参議院選挙で高松市において衛藤晟一議員の得票数が「0票」になる事件がありました。彼は全国比例区で出馬し当選している人物で、しかも、高松市には彼の後援会の会員もいるという、複数の状況証拠から「不正選挙」の疑いが急浮上しました。
 このことがきっかけで選挙管理委員会の事務局長らが意図的に白票水増しを行ったことが明らかとなり、一部の選管職員には有罪判決が下りました。とは言え、不正が起きた経緯にはまだ未解明の点もあります。
 この事件のポイントは、①不正開票が明らかになった今でも選挙結果は訂正されていない、②開票立会人が不正を見逃すと選挙結果の訂正は事実上不可能である、というところにあります。
 実は不正開票についてはまだ未解明の点も多いものの、少なくとも不正に開票されたこと自体は裁判でも確定しているのに、高松市選挙管理委員会は未だに衛藤晟一氏の得票数を「0票」とする選挙結果を訂正していないのです。それは我が国の法律がそうなっているからです。
 選挙の投票結果を決める権限があるのは、開票管理者です。開票管理者は選挙管理委員会が選任します。
 開票管理者は各陣営の推薦等によって選ばれる開票立会人の意見を聞きながら効力を決定します。実務上は、開票立会人全員が「有効」との印鑑を押すとそのまま開票管理者が有効であると判断します。開票立会人の誰かが「これはオカシイ」と言うと選挙管理委員会の職員が対応し、最終的には開票管理者が判断します。
 私は過去に二回ほど開票立会人をしましたが、この時私は本当に一枚ずつ確認をしました。そのせいで私の机には票の山が積まれましたが、不正選挙を防ぐためには必要な作業です。
 その結果、実際に日本共産党公認候補への有効票が不当に無効票にされることを阻止するなどの成果がありました。その時私は立憲民主党推薦で開票立会人をしたのですが、私を含む開票立会人全員が党派を超えて公正な立場から異議を申し立てたことにより、間違った認定を防止できたのです。
 ところが、衛藤晟一氏が0票であったことについては、衛藤晟一氏を公認した自民党推薦の開票立会人を含めて誰も異議を申し立てなかったのです。そのまま開票管理者が票を認定すると、もうその結果を覆すことは困難となります。
 衛藤晟一氏の件が意図的な不正であったかはまだ未解明ですが(意図的な不正であったとする情報が私の耳に入っていますが)、開票立会人の仕事が形骸化するといくらでも不正が可能となり、仮に裁判沙汰となっても結果は訂正されない、ということになります。
 私がしばしば「今の日本は戦前ではなくむしろ中世に戻りつつある」というのはそう言う意味のこともあります。
 日本の議会は司法から分離したイギリスの議会等とは大きく異なり、朝廷の太政官の一部門であった「左院」を前身とします。そして未だに日本の議会はかつての朝廷のような儀礼重視の側面があります。
 かつてある方に「どうして立憲民主党から誰一人○○に反対しなかったんですか!」と言われたので「反対は無理です」「それは造反する覚悟が無かっただけでしょ?」「いえ、反対することが物理的に無理なんです」というやり取りをしたことがあります。
 どういうことかと言うと、我が国の議会では予めどの会派が賛成でどの会派が反対かを決めており、それに従って議員が投票する訳で(特に起立採決)、議員がその予め決まっている通りに投票しなくても無視されます。
 特に「全会一致で可決」することが決定されると、絶対に反対票を投じてはいけません。どうしても反対したい方は欠席することになります。このあたりのことは政界では常識ですが、何故か学校では誰も教えてくれないので、一部の人は「議員は自由意思で投票しているはずだ」と勘違いしているようです。
 このように議員の投票も形骸化しているのですが、そこに加わり選挙すらも形骸化してしまうと、選挙とは単なる儀礼と化してしまいます。そうならないためには、開票立会人が不正の起きないようにキッチリと確認する必要があるのです。
 高松市の10年前の事件を過去のものと出来ないのは、日本人はどこかで儀礼的なものを重視する傾向があるからです。
 中世は太政官が形骸化して不法に摂関家や幕府が権力を握りましたが、議会政治の形骸化も同じ結末を招くのではないか、と危惧しています。

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